読書8-6『「自分には価値がない」の心理学』Ⅴ

自分の職業でもあるので、関心を持たないわけにはいかない記述を載せよう。

~学校は本来子どもの自己価値感を高めるべき場所であるのに、学校ほど無価値感をもたらす場所はない。学校ではすべての子どもが一定の時間内に同一課題を遂行することを求められ、その出来具合が公的にも評価される。このため優劣は否認しがたい事実となる。~

課題ができる、できないで優劣をつけられ、序列化される。優れている者は自己価値感を高め、劣っている者は無価値感を抱くことだろう。

何のために評価するのだろう。その子のよさや努力を認めたり、励ましたりするためだ。が、単元ごとにテストを購入させられ、学期末には通知表の作成が待っている。多忙化の中で、教師は評価の目的や意義を見失ってしまう。

~自分は劣っているという意識で学校生活の長い時間を過ごさなければならない子どもがどれだけ辛い思いをしていることか、大人は思いを寄せねばならない。~

評価をする者も、子ども時代は成績もよく、無価値感とは無縁であったに違いない。要するにできない者の気持ちが分からないのだ。評価という行為も無神経に、冷徹にならざるを得ない。

~学校は本質的に無価値感をもたらす性質を内包している。それは学校は服従を強いる場所であることである。時間割に従って関心と活動を強制的に移し変えさせられる。現実的な意味もわからず、面白いと感じられない内容を頭に詰め込むことを強要される。~

うる覚えであるが、オランダとかは、テストも時間割もなかったような。教科を再編し、もっとゆったりと学べるようになるといいとは思うが、各教科とも凝り固まって既得権益を守ろうとしている。学校も変わらなくてはならないと思うのだが。(R5.6/10記)