読書8-13『日本人に生まれて、まあよかった』Ⅷ

宿泊的行事も研究授業も終わり、ようやく平穏な日常を取り戻しつつある。帰ったら久しぶりに映画でも、と意気込んだが、家に着くと遠出する気分ではなかった。年食ったのかな、疲れているのかな。

なるほどという文章が出てくる。

~ごく少数者を落第させるから目立つので、フランスでは小学校から中学校へ進む時にクラスの5分の1くらいは留年させます。父母も子どもの実力にあった教育の方を歓迎するので苦情も出ません。~

教える立場からすれば、我が国の護送船団方式は見直してもいいと思う。これまた消極的な理由だが、どんなに勉強をサボっても、授業妨害をしても、不登校であっても、自動的に進級できるというのは間違っていやしないだろうか。教える側の努力にも限界がある。それを越えて勉強に興味が持てず、まったく学習に取り組まないばかりか、他の子どもの邪魔までする子だっている。そんな子も、時が過ぎれば課程を修了したことになる。それが我が国の教育だ。

また、教える側も、どう教えても、または教えなくても、すべての子が自動的に課程を修了するというのは、教える側の責任をあいまいにし、指導力がいつまでたっても育たない。

「学習指導要領の内容は最低限身につけさせる」と聞いたことがある。その責任が教師にあるとする。では、それが果たせなかったらどうするか。教師はその責任をどうとるのか、身につけなかった子どもはどうなるのか。その辺をあいまいにしておいて、教師に無限の努力をさせているのではないか。(R5.10/4記)