読書7-3『「こころ」の本質とは何か』Ⅷ

本当に納得のゆく文章が続く。

~進学率が90%を超え、ことさら勉学に励まなくてもだれしも高校進学が叶い、進学が当たり前になってしまえば、それは子どもたちにとって能動的、主体的な努力目標、夢ではなくなりますね。~

「どうして勉強しなくちゃいけないの」という子どもの問いに、正面切って納得させられる答えを持っている人がどれだけいるだろうか。私は「賢くなるためだ」と答えるのだが、それだって「賢くなりたいと思えない」と言われたらそれまでだ。勉強をする必要を感じなくなっているのだ。

~まさにこの時から不登校の社会的増加が始まっています。何の目的で勉強をするか、なんのために学校へ行くのか、子どもたちの間で勉学に励むことの意義、登校を支えるモチベーションが低下し、反転上昇をもたらしたと考えられます。~

私は「学校に行きたくない」という子どもも受け持ってきた。その子には「無理するな」と言ってきた。親は困っただろうな。だが、教師の仕事は、子どもを学校に来させることではなく、来た子どもに勉強を教えることだ。

~現在のように誰もが高校に進める社会の実現は、学問が万人に開かれ、近代的で豊かな文明社会が十二分に実現されたことの表れです。私たちは大変豊かな消費文明を一般のものとして享受しています。これは我が国の学校教育の達成と観るべきでしょう。学校制度はまれに見る成功をしたのです。~

こう見ると、つくづく学校制度の役割は終わったのだと感じる。一つの価値に向かって護送船団のように全員に同じように学ばせることが不可能な、不要な時代に入ったと思う。もっとフレキシブルな制度に変えるべきだ。(R4.11/1記)