読書8-10『世界一やさしい「論語」の授業』Ⅶ

子どもを相手にしていると、以前もあったようなトラブルに見舞われる。提出物を出したか出してないか、持ち物を持ってきたのか持ってきていないのか。子どもを通じて保護者と対峙せねばならないもどかしさが生じる。

~最終的には善く生きようとしている者が勝つ。正義を本質とし礼儀にかなった行動をし、言葉を謙遜にする。そうすればそうした美しい行動や動作は自然と外に表れて、周りが放っておかなくなり、君の人生の目標もいつの間にか成就されるというわけじゃよ。~

そのようなトラブルに対しても、正義を本質とし礼儀にかなった行動をし、言葉を謙遜に対処するのだ。

~どうして自分一人では世の中を変えられっこないと思い込むのかな?それでは自分を見限って自分自身をバカにしてるのと同じじゃないかね。自分に対する思いやりを欠いた無礼千万な態度じゃないかね。~

礼儀を欠いたのが無礼。礼儀とは「対人関係での気配りや敬意、慎みの気持ちにもとづく行動の規範」ということ。礼儀作法に目がいってしまいがちだが、自分に対しても、子どもにも、保護者にも、周りに対しても思いやりをもって対応するべきなのだ。

~どうして君自身を叱咤激励して礼儀正しく扱おうとしないんじゃよ。たった一人の人間が一日でもこれを正しく扱って礼儀の基本に立ち返ったならば、自分自身の内奥から善の力があふれ出て確実に一人分だけ世界は善くなり、やがては世界中が思いやりの精神で満ち溢れるようになるんじゃぞ。~

自分の思うようにならないことを嘆いたり、他者のせいにしていてはいけない。まずは自分からなのだ。世の中を変えるのもまずは自分からなのだ。(R5.9/4記)