読書8-6『「自分には価値がない」の心理学』Ⅳ

久しぶりに家から職場までジョギングで通勤した。今日は某学年が宿泊行事を終え帰ってくる日。出迎える気は毛頭ない。面倒なことに巻き込まれる前に、割り振りを取って帰路に着く。学校に戻るバスに遭遇しないように裏道を選びながら。

~基本的な欲求はそれが満たされないと、その欲求への過度の執着が生じるという性質がある。基底的無価値感が強い人ほど、誰からも称賛され、誰からも注目され、誰からも愛されることに執着する。そのために、人一倍の努力や自己犠牲的態度が身につくことが多い。~

数年前まで、休職するまで、私は人一倍いやそれ以上に努力していた。まさにそれは周囲から一目置かれるような人物になりたかったのだ。今振り返ると、それはやはり自分が、基底的無価値感が強かったということだ。

わが人生を振り返ると、愛されたり、尊重されたり、受容されることが少なかったと言わざるを得ない。私は次男であるが、服も学用品もなんでも兄のお下がりで、それに不満を持っていた。4人兄弟で一番下が妹なのだが、母は女の子がほしくて4人も生んだのだ、と決めつけたこともあった。何かと自分の境遇にケチをつけていたのだ。決して愛されなかったわけではないと思う。だが私は素直に愛を受け入れなかったのかもしれない。

~無価値感に翻弄される人生にならないために、以下のようなことが大事である。人生に早すぎる決断を下さないために、自分の生命の意味を確認すること。孤立するのではなく、周囲の人々と心を通じ合う関係を持つこと。自分を取り戻し、自分自身を信頼すること。つらくても夢を目標として持ち続けること。~

もうシャカリキになって努力する年でもない。自分を見つめること、他者と繋がること、身の丈に合った目標を持つこと。(R5.6/9記)