読書8‐2『傷つきやすくて困った人』Ⅸ

私事であるが、今週末から次女が孫を連れて一週間ほど滞在する。旦那は海外出張らしい。その受け入れ態勢を整えるために少し慌ただしくなってきた。

最後は、自分の仕事について注文されているような文章だ。

~好ましくない行為と人格を区別することだ。否定すべきはその人物の行為であって、その人物ではない。ゆえに変えるべき行為についてはきちんと注意しつつ、その人物がちゃんと改善していくだろうという信頼をもって励ます姿勢が望ましい。~

行為と人格を区別すること。もちろんそれは分かり切っている。こちらが分かっていても、相手となる子どもが分かっていなければ不十分だ。行為を注意されても、その受け手である子どもが、人格を注意された気になってしまうのではないか。そうならないような決め手となる対策を思いつかない。「君のことは好きだけど、君がやったことは許せない」などの前置き発言くらいか。

~人間は理屈だけで動くものではなく、気持ちで動くようなところがある。気持ちをほぐすような言葉がけを意識し、警戒心を解くことで、傷つきや反発を防ぐことができる。~

私の弱点。どうしてもだらけた子どもに目がいってしまい、引き締める方向へ働きかけてしまう。「気持ちをほぐす」「警戒心を解く」言葉がけなど皆無である。もっと意識しなければ。

~雑談などを通して気持ちをつなげるような情緒的コミュニケーションを意識して持ち得るように心がけたい。~

情緒的コミュニケーションとは何か、調べてみた。情緒的は、「喜怒哀楽の感情を折にふれて起こさせる」という意味。情緒的コミュニケーションとは、井戸端会議的な、感情を共有する会話。心身を安定させる効果があるとのこと。

対義語は機能的コミュニケーションだが、私はクラスの子どもと雑談もほとんどなく、機能的コミュニケーションしかとっていないのではないだろうか。雑談でもいい、もっと気持ちをつなげる努力も意識したい。(R5.5/17記)