読書8‐3『ウルトラマンが泣いている』(円谷英明)

ウルトラマンが泣いている――円谷プロの失敗 (講談社現代新書)  – 2013/6/18
円谷 英明 (著)

幼いころ、夢中になって見た覚えがあるウルトラマン。そのシリーズは、今も続いているのだろうか。

~特撮にはでこぼこした手触り感があります。それは実物だけが持つ迫真です。どう壊れるかはやってみなければわかりません。作った人が、こうなるだろうと考える決めつけをあっさり裏切ります。全能ではない生身の人間と、なかなかその思いに応えてくれない素材が織りなす、結果が予想できないドラマです。~

特撮の製作には、苦労があるのだな。そんなことまで思いも及ばず、ただただテレビの前に釘付けされて怪獣との闘いに観入っていた。ということは、製作者側の成功だということだ。ウルトラマンは大きな敵・怪獣と戦う、仮面ライダーは小さな敵・怪人と戦う、と自分なりに区別していた。

~テレビ業界に根強い「テレビは時代を映す鏡でなければならない」という考え方がありました。時代に合わせるために、あるいは制作サイドの大人の事情でコンセプトを安易に変えてしまうことは、そこそこの年齢の子どもには見透かされてしまう。~

私はウルトラマンシリーズをどこまで見ただろう。Q、マン、セブン、帰ってきた、エース、タロウ、レオまでだな。でも何かを見透かしたわけでもなく気持ちは離れていった。それは自分が成長したからだと思う。

~なぜウルトラマンも、偉大なるマンネリではいけなかったのでしょうか。テレビ局の若いスタッフに対して一定の発言力を行使できる実力者が円谷プロの中に存在しなかったことが残念でなりません。~

偉大なるマンネリと言えば水戸黄門。それもいつしか終わってしまったな。マンネリだろうとなかろうといつしか飽きられるものだと思う。諸行無常の世界。だが、この文から、円谷プロが、テレビ局側の言いなりになっていたことが分かる。コンセプトを貫けば商売にならないし、いいなりになっていると主体性や独自性を見失う。なかなか難しいものだな。(R5.5/18記)