読書7-1『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』Ⅲ

子育てをするにあたり、自分の子が周りとかけ離れて違っていると心配になるだろうな。

~当たり前のことだけど、人間一人ひとり違うのです。そして人間の尊厳、他ならぬその人が生きている意味は人と違うところにある。その人の存在の意味はみんなと同じだというところにはない。違うところにあると思うのです。~

教師をしていると、「みんなと同じように」することを自然に要求してしまう。異端であることを打ち消そうとしてしまう。みんな同じであれば、指導がしやすいというのは間違いない。35人もの児童生徒を一人の教師が管理、指導せねばならないのだ。かくして、同調圧力を受けながら、学校を過ごすことになる。

~あまりにいじめを警戒して、きめ細かく親が介入したり、教師が介入したりすると、いじめという醜い現実から、子供の目をそらさせてしまうところがあるような気がします。「いじめ」で子供は社会の現実を知るところがあると思うのです。他人という者の残酷さとか恐さとかですね。更に言えば、自分の弱さも思い知る。~

やはり人間というのは、恐ろしいものだということを知る機会は必要だと思う。世の中、いい人ばかりじゃないし、いいことばかりでもない。どちらもトントンだ。

~子供たちはいじめたり、いじめられたりして、物凄く自分を知りますね。それを傍で見ているぼくなんかだって「もう、よしたら」といえない勇気のなさなんかで、自分を知ってきたのです。いじめっていうのは実は物凄く人間とか人生を教えてくれる経験でもあると思うのです。~

小学4年生の時、おとなしく人のよさそうな友達がいた。だが、その子はクラスのボスにからかわれた時、顔を真っ赤にして歯向かっていった。自分はボスの振る舞いにいやいやながら付き合っていたのに。その子のことを凄いと思ったと同時に、それが自分の限界なのだ。(R4.9/28記)