読書7‐18『仕事は99%気配り 』Ⅲ

今日、始業式だった。新しい子どもたちとの出会いの日だった。初めて受け持つ子もおり、その子のことがわかっておらず、たいそう戸惑った。手探りでの対応を迫られ、疲労困憊。

~私が勝負できるものは「自分」しかありませんでした。自分自身を磨くしか方法はなかったのです。少しでもお客様に好感を抱いてもらえるように努力するしかなかったのです。だから私には「気配り」をすることが必要でした。~

ある意味、受け持つ子も、その保護者も含めて「お客様」だ。教職を聖職と考えているふうもあるが、私はサービス業だという考えを支持する。だから私は「営業」をしているわけだ。子どもに好感を抱いてもらえるように努力すること。そうした子どもへの気配りが必要なのだ。

~最後に頼れるのは「自分」だけです。その時に必要なものは何か、はたして自分はそれを持っているか?~

正直、ただただがむしゃらに、その時の感性で、「営業」に取り組んでいるに過ぎない。「頼れる自分」であるために、何が必要なのか。幅広い知識を持って、様々な子どもに、柔軟に、しなやかに、対応する力だろうか。

~計算から生まれた発想ではなく、もっと単純に「従業員たちが好き」「みんなに喜んでもらいたい」そういう発想から始まっている。~

「子どもたちが好き」「同僚が好き」「子どもに喜んでもらいたい」「同僚に喜んでもらいたい」そういう発想から始めなくてはならないということになる。(R5.4/6記)