読書7-1『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』Ⅴ

筆者は、清濁併せ持つのが人間だという人間観なのだろう。

~子供の世界には大人の窺い知れないところがあるのだというセンスがやはり必要だと思います。子供の世界にあまり光をあててはいけない。人間はどうしても光の当たらないところで育つという部分があります。闇を必要としているところがあるんです。~

「親は子供のことをすべてわかっていなければならない」というスタンスは間違いだということだ。たとえ親子であっても、踏み込んでいけない部分がある。子供からするとすべてを監視されているような、息苦しい気持ちになるかもしれない。

~とことん正義を行使しようなどという発想は、どこか現実に対して、人生に対して無知なところがあると感じられてなりません。子供と言えども全部には立ち入れない、立ち入っても分からないところがあるという気持ちが必要ではないでしょうか。~

~理解し合うのがよき関係だという思い込みは一種の近代病だと思います。近代主義というのは、とことん語り合えば人間は理解し合える存在だとする生き方です。理解し得ないことは努力不足ということになってしまう。~

生徒指導に関して「子ども理解」という言葉がある。問題行動を起こしたり、特別に支援が必要な子どもに、理解が必要とされている。そのために、プロフィールをつくり行動をこまめに記録したり、日記などを書かせて性格や心情を探ったりする。その子を、こうさせたいがために、指導の糸口を探っているのだ。「こうでなくてはならない」「こうさせたい」というものがあること自体、疑ってしまう。(R4.10/1記)