読書7-17『森田療法』Ⅸ

筆者は仏教者ではないだろうか。「今、ここ」というのは禅の教えでもあるのだ。

~「今」「ここ」で生きる意味を一つ一つ大切にしながら、生きていこうという姿勢が、自分なりに作られてきたと思う。~

~人間は苦悩存在と言われるように、生きている以上、何らかの苦悩を引き受けながら生きなければならない。逃れ得ないとすれば、それでも「あるがまま」に受け入れるしかない。~

昨日のこと。どうしても遅れてはならない会議。余裕を持って出発したつもりが、駐車場の隣の車にドアを当てて塗料の跡をつけてしまう。乗車していたカップルに平謝り。それで以って出発が遅れる。目的地に向かう道中、反省しきり。不慮のアクシデント、最近気になる容姿など、苦悩は限りない。逃れ得ないと、もうわかっている。受け入れるしかないのだ。

~受け入れればこそ「今」「ここ」に生きている現実が、より大切な時間、空間として我々の前に現前してくるのである。そのときに我々は何らかの生きている意味を見つけ、人間として有意義な生活をしようという「目的本位」の行動の重要さを自覚させられる。~

なんてことをしてしまったのだという「過去」への後悔。自分の容姿はどうなってしまうのだろうという「未来」への不安。悩みは「過去」と「未来」が対象だ。そのどちらでもない「今、ここ」を大切にしなくてはならない。(R5.3/31記)