読書『夜と霧』Ⅶ

生きる意味について。

~人間が生きることにはつねにどんな状況でも意味がある。この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をふくむのだ。~

生きることに意味があるか、と問われたら「ないかもしれない」と答えるだろう。でも存在することに意味があるのだ。「生きる」とすると、暮らす、生活するという視点になってしまう。現実の苦しみを直視してしまい視野が狭くなる。人生に苦しむこと、死ぬことを運命づけられたその人の存在に意味がある。

~この困難な時、だれかの促すようなまなざしに見下ろされている。だらかとは、友かもしれないし、妻かもしれない。私たちを見下ろしている者は、失望させないでほしいと、惨めに苦しまないでほしいと、そうではなく誇りをもって苦しみ、死ぬことに目覚めてほしいと願っているのだ。~

生きていくならば苦しみからは逃れられない。そして死からも逃れられない。どうせ逃れられないのなら、惨めにその姿をさらすのではなく、誇りをもって立ち向かえということか。見下ろしてくれる他者がいるからこそ、誇りをもって立ち向かえる。やはり人とにつながりは大事だな。

強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり人生が自分を待っている、誰かが自分を待っているとつねに思い出させることが重要だった。~

この180度転換した考え方。これが大切なんだ。(R3.11/18記)