読書7-12『不幸論』Ⅴ

筆者が考える幸福とは何だろうか。

~幸福とは「自分がやがて死ぬ」という苦痛をはじめ、自分が投げ込まれた不条理を瞬間的に忘れることだ。~

どうせいつか死ぬのに、それを忘れて浮かれるな、ということだろう。筆者は死ぬことを不幸と考えているのだろう。でも、死は誰にも与えられている宿命である。遅かれ早かれ誰にでも起きることは、不幸だともいえないのではないか。

~幸福とは思考の停止であり、視野の切り捨てであり、感受性の麻痺である。つまり、大いなる錯覚である。~

~どう逃れても人生は苦痛や理不尽や悲しみの連続であり、とりわけ最後は死という最大の不条理なのだから、そうした残酷な事実に対して神経を麻痺させたくないからである。~

人は幸福を求める。そして不幸を見ないようにする。それは視野を切り捨て、感受性を麻痺させているのだ。

~世間による不当な扱いに対して、それほど憤激してはならない。そのとき必ずうまくいったときには見えなかった何かが見えてくるはずである。~

我々は幸福を追い求めることによって、大事な何かを見逃がしているのかもしれない。不幸から目をそらさないことで、また違う何かを見ることができるのかもしれない。幸福だろうと不幸だろうと、見なくてはならないものを見逃してはいけない。感受性のアンテナを高く、視野広く見て、思考深くあらねばならない。(R5.1/23記)