読書7-12『不幸論』(中島義道)

不幸論 (PHP新書) 2002/9/30 中島義道  (著) 

「幸福論」という本はたくさんあるが、「不幸論」はない。「著者は、長年の哲学的考察の果てに――どんな人生も不幸である――という結論に辿りつく」とあった。

この度、職場の同僚が結婚した。カードにメッセージを書くことを求められ、文言が思いつかず、仕方なく、当たり障りのない「幸せな家庭を築いてください」のようなことを書いた。

~ミルは青年の私に、幸福になりたかったら、幸福を直接求めてはならないことを教えてくれた。ほかのことに熱中している時に、フッと感ずる満足感、それが幸福なのである。~

よく「幸せになりたい」という言葉を聞く。私は「なる」という言葉に違和感を持つ。幸せは「なる」ものではないと思うのだ。「なる」ではなく「来る」。幸せは来るものであり、そして過ぎ去る。

「禍福は糾える縄の如し」。このことわざが一番しっくりくる。幸福も不幸も、やってきては過ぎ去る。だから幸福になることはできないし、逆にずっと不幸なわけでもない。もちろん、幸福を求めても意味がないと思う。

~この世では幸福はいつも真実を食い尽くす。真実を呑み込み、胃袋に入れて消化しようとする。幸福な人の眼は真実を見ていない。彼は真実を観ることを諦めて虚偽を見ている。~

筆者が、幸福、不幸、真実をどう考えているか。それは次にしたい。(R5.1/13記)