読書7-12『不幸論』Ⅲ

筆者の考える幸福について。

~すべての他人を苦しめないというふうに条件をきつくすれば、ただちに誰も幸福になれないことが導かれる。我々が生きているとは、他人を苦しめて生きていることだからであり、誰をも苦しめずに生きることはできないからである。~

豊かになるということは、誰かの財産を奪っているということ。先進国である我が国も、途上国から搾取した富で成り立っていると言えなくもない。

幸福追求とは他人を苦しめることの追求だとすれば、やはり人間は罪深い存在なのだろう。反面、「人の役に立ちたい」という思いもある。それは無意識で罪滅ぼししようとしているからだろうか。

~自分の幸福の実現が膨大な数の他人を傷つけながらも、その因果関係の網の目がよく見えないために、我々はさしあたり幸福感に浸っていられるのである。それがすっかり見渡すことができたら、この世に幸福はあり得ないだろう。~

~幸福は、盲目であること、怠惰であること、狭量であること、傲慢であることによって成立している。~

幸福を感じたとき、それによって誰かが苦しんでいないか、思いを馳せろということだろうか。(R5.1/18記)