読書『会社が嫌いになったら読む本』Ⅳ

「いい顔」に関する記述が続く。

~最終的には自分自身に対するこだわり、執着を外すことに行き着くような気がする。一般的に言う幸福は、自分の執着やこだわりの中にあるので、漠然と幸福を求める限りは「いい顔」になれないと言えるかもしれない。~

私は漠然と幸福を求めていたというよりも、努力しさえすればそのぶんの見返りが得られるはずだと思っていたようだ。自分の追い求めるものに執着していたな。自分のやり方が絶対正しいとも思っていたな。

~40代半ばに休職したときには、組織にあまりこだわっていない人たちの顔つきは往々にして悪くないことに気づいた。会社内のシステムの本質は合理性、効率性の部分が大きいので、本来の自分は何をやりたいのか、どう生きたいのかという新たな自分を見つける回答はそこからは与えられない。休職したときに、子どもの頃の商店街の人たちが心の中に現れたのは、彼らが組織の中の合理性とは対極のエネルギーに満ちていたからだろう。~

合理性とか効率性って競争から生まれてくるものだ。「生き残れ」「勝ち抜け」という号令によって追求されるものだ。組織の内でも外でもたくさんの競争が行われているのだ。「いい顔」でいるには、競争から降りることをも考えなくてはならない。もちろん、自分は「いい顔」でありたい。

しかし、今、商店街自体もなくなってしまった。それは競争に負けたから。と考えると複雑な思いだ。