読書6-19『広く弱くつながって生きる』Ⅵ

今回で終わりにしたい。

~人生も同じです。通過点をゴールだと思い過ぎたり、あらぬゴールを仮定して期待感を高めるから、かえって失望感や徒労感も大きくなります。峠を越える繰り返しに過ぎないと認識し、今歩いていることを楽しんだ方がよほど毎日が充実すると思います。~

「人生山あり谷あり」「禍福は糾える縄の如し」とは、峠を越える繰り返しと同じ意味だ。ゴールがあっても一過性のものであり、またスタートせねばならない。本当のゴールは人生の終末だということだ。峠も谷もそこを歩くことを楽しむ余裕があればいいのだが。

~結局、誰か、何かとの比較に基づいて高みを追求しても無意味なのです。頂点に立とうと必死になるよりも、足るを知ることの方がよほど大切ではないでしょうか。~

峠とは何か。高みとは何か。頂点とは何か。本当はそんなものはないのかもしれない。

~さまざまな年代の人たちと広く弱くつながり、困難があっても「きっと誰かが少しだけでも助けてくれる」という安心感をもつことができれば、人生はそんなに悪くない。そういう心持ちで、これからの長い人生を生きていけばいいんじゃないかと思います。

つながりができると、どうしても「深さ」「強さ」を求めてしまいがちだ。一時期「絆」なんて言葉ももてはやされた。「きっと助けてくれる」ことを期待しつつ、「助けよう」という心持ちでもいたい。(R4.9/5記)