読書7-10『1秒もムダに生きない 時間の上手な使い方』Ⅻ

昨日の座禅の場では、頚椎症の痛みをなんとかしたい、姿勢をよくしたい、秋田県へのロングドライブを今年の抱負として伝えた。今日は3連休最終日。明日から3学期。仕事が本格的にスタートする。

今回で終わりにしよう。

~挫折は、短期的には停滞であり、時間の無駄ではありますが、屈することのない魂が、長期的にはこれを「ちゃら」にすることも多いと思うのです。~停滞や挫折を許容し待つこと。時間と居場所が停滞しているように見える人に与えられていること。そういうものを、未来の時間の不確定さを目の前にして、提供し続けたいなあと思うのです。~

私は、子どもの前では「失敗は誰でもする」は、口癖になっている。気にするな、と励ましているつもりである。挫折も失敗も同じだと思う。

~僕らは皆、代替可能な存在、ディスペンサブルな存在なのです。あなたがいなくても、誰も困らない。僕がいなくても、世の中は困らない。~

これがなかなか分からない。働きすぎて疲れ果て、本当は休むべきなのに、「自分がいなければ迷惑がかかる」と思い休めないのだ。そして結局、再起不能なほどのダメージとなってしまう。自分を唯一無二の存在だと思ってしまう。そして存在意義、存在価値を高めようとする。そこに陥ってしまうのだ。

~一番エネルギーと心を尽くすべきは「ぼくがいないと困る人」つまり家族に対してだと思います。会社と家族を選ぶなら、ぼくなら後者を選びたい。ぼくがいなくなって一番悲しい人のために貴重な時間をできるだけ費やしたい。~

~仕事は価値の一つではありますが、価値のすべてではありません。家族を犠牲にして仕事の成果をあげることが正当化されるとは限りません。そもそもそんな人生をわれわれは望んでいるのでしょうか。~

同感だ。私は同感できるまでに、20年以上を費やした。もちろん仕事を疎かにしているつもりは全くない。(R5.1/9記)