読書7-6『子どもに勉強を教えるな』Ⅳ

通知表についても意見が書かれている。

~私は先生も信用できないと思っています。だから先生が書いた通知表が絶対だと思わないでください。あなたの子どもの才能や可能性を信用できない先生が書いたもので決めつけないでください。~

私は、信用してほしいとは思わない。できる限りの誠意をもって、通知表を作成しているが、それを信用するかしないかは私の知るところではない。通知表とは、その子の学校生活のある一面を評価したものである。ある一面、だ。才能や可能性など大げさなものを評価しているつもりはない。

~プロであるならば絶対に親のせいにしてはいけないのです。世の保育士さんは何かあるとすぐに親のせいにしがちですが、それはプロの姿勢としては間違っていると思います。プロである以上どんな家庭の子どもでもその事情を汲み取って対処すべきなのです。~

~その素晴らしい才能を引き出してあげるのが私たちの仕事であり、両親の仕事なのです。子どものせいにしたらプロの存在意義などないのです。~

私は復職してから、教育書を一切読まなくなった。このような「プロ意識」というキーワードは結構、教育書でお目にかかりそうだ。すべてを親のせいにしてはいけない。保育士や教師に至らない点もあるだろう。要は二者択一ではないということだ。「プロであれ」と言われたくはないが、私は公務員だから、全体の奉仕者でなくてはならない。だから、「どんな子どもでも」というのは、納得できる。(R4.12/2記)