読書7-1『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』(山田太一)

親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと (PHP新書)  – 2014/6/14 山田 太一  (著)

後半の3連休も最終日。今日から7冊めのノートである。

著者は超有名な脚本家だが、その作品群に私のなじみはない。著者のドラマや映画を好んで見たことはない。著名な脚本家が、自分の子育てを振り返って子育て論を綴っている。

~親は子供に影響を与えるけれど、その影響の大半は意識的な「子育て」によるものではなく、親の「存在」が避けようもなく与えてしまう影響だというように思う。結局その親の器量以上のものを子どもに伝えることはできない。~

私も小さい頃、親を超えたいとか思っていた時があった。でもこうして人生の後半を過ぎてみると、自分もちょぼちょぼだったな、と思う。働き盛りで寝たきりになった父親の姿を見て、健康には気を遣うようになったか。

~生まれてきた時から子供は他ならない「その子」です。決して思うような絵など描かせてくれません。教育次第だと思ったり、子どもがいけないのは何もかも親のせいのように思うのは傲慢です。~

こう見ると教育の役割、学校の役割って何だろうと思う。教育によって「こういう人間を育てたい」なんていうのはおこがましい気がする。「学力をつける」「知識や教養を身につける」「社会性を身につける」「生活習慣をしつける」程度でしかないと思った方がいい。保護者も教師も、「この子はこの子なんですねえ」と言い合いながら、成長を支えていくものなのではないか。(R4.9/25記)