読書6-15『ぼくらの民主主義なんだぜ 』Ⅳ

一週間終わりやれやれと思いつつ帰ったら衝撃的なニュースが飛び込んできた。まさに暴力のニュースである。加害者は、暴力を行使して襲撃した。そこには対話はなかった。「民主主義の危機」という。民主主義とは、対話そのものなのだ。

~ぼくは、体罰やイジメで怖いのは、暴力そのものじゃなく、そこには「対話」がないことだと思っている。つまり「インテリジェンス」が存在しないことだ。「インテリジェンス」のない教育って何なんだろう。~

自分は「インテリジェンス」を持っているだろうか。対話的だろうか。力でねじ伏せるような指導ばかりで全く恥じ入るばかりである。きっと、子どもの目線まで降りて、そして子どもの言葉に耳を傾けねばならないのだ。また、子どもが分かるように語らなければならないのだ。

~読書は人生のすべてが決して単純でないことを教えてくれました。私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。~

読書はもう日常化している。読書は私に何を教えてくれているのだろう。読書をしだして3年以上過ぎたけど、人生が単純でないことは納得できる。人生はそう期待通りにいかないし、禍福は糾える縄の如しということも読書で学んだかな。(R4.7/8記)