読書『人生を半分あきらめて生きる』Ⅲ

あきらめて生きる、というのは未来や将来を考えない、あきらめるということかもしれない。

~時間の呪縛から放たれて「今、この瞬間」に心を込めて本当に生きること。わたしたちは本当に人生にふれ、味わい、堪能しているだろうか。非凡なものを、とりわけ平凡の中にある非凡なものを感知しているだろうか。~

本日、職員会議が行われた。7月、8月の行事予定が示された。こうして自分はまだまだ命があるということを約束された気分になってしまう。未来に思いを巡らせるということは、「今、ここ」への集中力をどうしても欠いてしまう。ちなみに、「今、ここ」に注力せよというのは仏教の思想だ。

~私たち無力な人間ができるのはただ一つ、「今日一日が人生最後の日になるかもしれない」そんな思いを胸に刻んで、日々の一瞬一瞬に心を込めて生きること、ただそれだけ。~

私が今、一番フィットする考え方は、「今日がオマケの日」だということだ。「もう自分の人生は昨日で終わっている。だが、今日はオマケだよ」という意味だ。オマケだから儲けものだし、どうせオマケなら、その一日を誰かのために使ってやろうという気持ちになる。「人生最後の日」と考えてしまうと、どうしても「総決算」の意味合いが強くなり、力んでしまうような気がする。

どんな考えであれ、「一瞬一瞬に心を込めて生きること」それは本当に難しい。(R3.6.24記)