読書『 老いを照らす』Ⅶ

最後は教育に関する記述を紹介したい。

~いじめ問題の背景には偏差値至上主義が生み落としたゆがんだ競争主義があります。~

児童生徒は常に競争させられている。どのくらい優秀か。どんな序列か。そして優秀な人材が企業に買い取られる。企業で活躍する一握りの人材を集めるために、児童生徒全員が競争に参加させられていることが問題なのだと思う。「やればできる」「努力は報われる」そんなふうに乗せられて。

~子どもの可能性を認め、伸ばしてやる。子どもを信じてあげる。これこそが教育の本義でしょう。ところが今の教育現場は親や教師が自分たちの利益のために子どもを裁き、縛り、鋳型にはめる、刑務所のようになっているのです。~

そもそもの問題は、教師一人当たりの受け持ちの人数が多いことなのだ。一クラス40人だったものが数十年かけてようやく35人になるらしい。遅すぎる。一人一人の可能性を見てやらねばならぬのに、35人もいたら物理的に不可能である。

~知識を詰め込むことが教育ではない。人間はどうあるべきか、何をすべきで、何をしてはいけないか、そういう基本的なことを情熱をこめて教えてあげてください。~

間違っていない。賛同できる。しかし最後は「情熱」。精神論に行き着くところに虚しさを感じる。

~「これは間違っている」と思ったことはあきらめないで勇気をもって声を上げていくべきです。あきらめ、この悪い時代に狎れてはいけません。人間の可能性を信じて、祈り、行動していきましょう。悪いことは悪いと、声を上げ、立ち上がり、腕を組んで、悪い歴史の流れの堰となろうではありませんか。世の中を少しでもよくしたい。そう願えば、きっとその願いはかなえられます。~

それでも、あきらめてはいけないのだ。狎れてはいけないのだ。まずは願うこと。