読書『 人間であること』Ⅳ

スキンシップが難しい世の中で、どう心の連帯を作っていくのか。

~ことばや文字より高次な手段は何であろうか。それは「目は口ほどにものをいい」という文句や「神は両目に在り、情は笑容に在り」という文句が端的にいっている目、すなわち、視線、まなざしではなかろうか。~

肌のふれあいが難しいこの時だからこそ、目、視線、まなざしが重要なのだ。今日も私は視線を意識した。ある子を指導するときに、「先生の目を見て!」と言って聞かせた。それこそ百万言を使うよりも、まず視線を合わせるにした。

そういえば吉本均は「まなざしで身に語りかける」など、「まなざし」という言葉を使っていた。まなざしとは、「物を見るときの目の表情。物に視線を向けるときの目のようす。目つき。目線」のことだ。私は子どもに「まなざし」を向けているか。子どもは私に「まなざし」を向けているか。子ども同士「まなざし」を向け合っているか。

~きびしいことではあるが、お互いに目を背けないで、目と目による、人格者としての心の連帯を作りたいものである。このきびしさは肌のふれあいによる無人格的な心の同体化によって支えられるのである。子どもを教えるには手をかけてやると同時に、目をかけてやらねばならぬという。尊い体験からにじみ出た真の教育者の言葉である。~

自分は人格者として、人格者としての子どもに「まなざし」を向けねばならない。尊い体験って何だろう。私の教師としての毎日は、尊い体験なのだろうか。