読書『 「できる人」という幻想 』Ⅳ

4つ目は「起業」である。

『増える「50代おじさん起業」と稼げない現実の過酷さ』なんていうネット記事もあった。50代で起業したって、うまくいくわけではないのだ。でも若者の特権というものでもないようだ。

~起業家というのはいまやライフスタイルの一つなのではないか。彼らは会社に縛られていないようで、夢に縛られる「夢畜」と化していくのである。「できる人」という幻想の成れの果てだ。~

同じ仕事を30年も続けていると飽きてくる。「スタッフ募集」という看板を見ると引きつけられる。「あんな仕事おもしろそうなんじゃないかな」と思ってしまう。楽しんで働いている自分を思い描いてしまう。夢って、どこにでも転がっているものだ。しかし、夢を持ったらそれに縛られる時が来るのかな。

~今求められているのは「努力のデザイン」「経験の意味付け」なのだ。努力が無駄にならないように、そして若者が迷走しないように、マネジメント層による「努力のデザイン」がこれほど求められている時代はない。~

夢に縛られて際限のない努力に迫られるときもある。ましてや我が国は「やればできる」、「努力次第でなんとかなる」という風潮が強い。意味のない、無駄の多い努力が若者の心身をスポイルするのだろう。

~そろそろ若者に丸投げするのはやめにしよう。年齢相応の社会的責任を果たそう。それが大人の役割ではないか。何でも若者の可能性にかけるのは乱暴な社会である。~

「高度経済成長やバブルの頃の栄華がもう一度やってくる」「日本はまだまだ先進国なのだ」などの幻想を心の片隅に持っているのではないだろうか。だが日本は高齢化社会が進み続けている。華やかな栄光はもう戻ってこないのに、その夢を若者に託してはいけない。彼らには荷が重すぎる。