読書『希望のつくり方』Ⅵ

 

もうⅥまで進んでしまった。今回が山場だ。

この本の中で最も共感するのは、この「ユーモア」「遊び」という言葉だ。

ー希望を持ちにくい社会とは本当は多くがユーモアを失いつつある社会なのかもしれません。他者の痛みに対する共感と想像力を持ち、いっけん無駄に見えるものでもすぐに切り捨てたりせず、自分の過去の失敗なども潔く語れるところにユーモアは生まれます。苦しい状況でも、そんなユーモアを忘れないところに、希望も生まれるのです。「私は、絶望の反対はユーモアだと思う。」ー

自分自身も含めて、ユーモアある社会というのが現代の日本の課題だと思う。学校では、まじめにがんばること、ひたむきに努力することばかり教えている。ユーモアにふると、「不真面目」「ふざけ」になってしまう。

気づいた私自身がユーモアを忘れてはならない。自分も「過去の失敗を潔く語る」なんて苦手だが、それを乗り越えなくてはならない。

ー「結局、希望には遊びが一番大事だと思うんです。」効率ばかりが優先され、遊びが社会のあらゆるところで急速に失われつつある現代の状況こそ、希望のない閉塞感に覆われた社会の正体なのです。ー

私が失敗や挫折から学んだとしたら、ここだ。ユーモアや遊びを大切にしなくてはならない。まじめやひたむきさを高い価値においてはならない。

子どもに遊びを教えたい。前も記したが、子どもにけん玉や手品を披露するのもそんな気持ちからだ。

ー遊びそれ自体は無駄に思えるかもしれませんが、遊びがあってはじめて偶発的な出会いや発見が生まれます。遊びのある社会こそ、創造性は生まれますし、希望は作り出せるのです。ー