読書『 「できる人」という幻想 』Ⅲ

三つ目はコミュニケーション能力の過度な要求である。

コミュニケーション能力とは、「他者と意思疎通を上手に図る能力」であった。(ウィキペディア)ちなみに、国語の指導に関しては、もうだいぶ前から「書くこと」や「読むこと」よりも「話すこと・聞くこと」に重点が置かれている。コミュニケーション能力育成の教育がなされてきたと言っていい。

~「コミュニケーション能力」が過度に求められているがゆえに、この能力が低い者は排除されてしまうかのように見える。独り歩きして若者の強迫観念となる。~

では、なぜ昨今「コミュニケーション能力」が過度に求められるようになったのだろうか。私が思うに日本の産業構造の変化が関係している気がする。日本は農業立国でも工業立国でもない。産業の多数を占めるのはサービス業である。農業や工業ならそれほどコミュニケーション能力は必要とされない。しかしサービス業であれば、人とのかかわりなくしてやってられないだろう。

エントリーシートを書く力も「コミュニケーション能力」の一つだということを理解していないのだろうか~

コミュニケーション能力育成の教育がなされてきたといったが、それはただその割合が増えたというだけで、教育が充実したというわけではない。例えば「話すこと」の授業では、話す内容を台本に書いて読ませたり、「聞くこと」も聞き取った内容を書かせて書いたものを評価したりせざるを得なかった。結局「書く」力が関わってくるのである。

~人材を育成する上では上の世代こそ「コミュニケーション能力」が大事だ。上司が若手に対してコミュニケーションが下手であるがゆえに、若者に「コミュニケーション能力」を求めるという逆転が起きてしまっていないか。~

とはいえ、上の世代の方が「話すこと・聞くこと」の教育を受けてこなかったわけだから、上司がコミュニケーションが下手だと言われたらその通りだ。上司がそれを自覚することが必要だ。