読書『 いじめ・自殺 この30年で何が変わり、何が変わらないのか』Ⅳ

根本的にいじめを無くすというのはできないのだろう。

~子に問うことだ。いじめられているなら、それがつらいかどうか聞くことだ。そしてどうしたいかを問うことだ。ここで問われることは自らの意志として自らの希望として目的を明確にすることである。~

子どもが「いじめられている」と訴えてきたとき、一般的には素早い対応を求めてしまいがちである。すぐに相手を呼び出し事実を確認する、指導するなど、自分でもおそらくそうしてしまうだろう。しかし「君はそれがつらいのか?どうしたいのか?」を問い、意志や希望を確認することが必要なのかもしれない。「そんな悠長なことするな」という声も上がりそうだが。

~いじめられている自分に気づき、それがいたたまれず、それが自分に起因するのであるとするならば、そこで初めて自己の仮面化や自己の改造や、あるいは自己の社会的な強化というものを図っていこうとする起点になっていく。その意志のもとに自らが伸びていこうとすることを親は見てフォローしていくことぐらいしかできない。~

いじめられている子どもにとっては、それが自分の世界すべてなのだ。自分の世界がすべていじめでぬりつぶされる。だからこそ、子どもに逃げ場が必要だ。家や親はダメだよ、逃げ場にはならない。学校でも家でもない、第三の場所、自分の居場所が必要なのだ。そんな居場所にいられるからこそ、自分を客観視でき、それが自己の改造につなげることができると思う。今の子ども、だけでなく大人もみんな、忙しすぎる。