読書『 いじめ・自殺 この30年で何が変わり、何が変わらないのか』Ⅴ

それがいじめなのか、からかいなのか、いじりなのか、本当に判断は難しい。特に第三者が判断するのは難しい。だから被害者の申し出が重要なのだが…。

~悪ふざけや中傷の対象になる者も、からかいの対象になる者も、必ず社会の中ではいる。それをすべていじめと断定し、いじめをなくすということによって、それすらもなくしてしまうことは何とも面白味のない人間関係をつくり上げる。いろんな要素があるから、人間社会は面白い。~

~イジメている子をイジメる子のままにさせておくのは、その子以外のすべてに問題がある。少年犯罪もむろん強化するとかは必要なことではあるけれども、それで済むのではなく、それに付随する社会の受容力の要素を語らなければ片肺的になる。~

いじめる子をただ排除すればいいわけではない。社会の中にイジメる子を受容する部分も必要ということか。

~いじめなくてもよいような、いじめたいという衝動を別の方向に転化するような方途や、その指導やその展望をその子の中に見出しうるような学習や指導が付随しなければならない。罰は罰としてのみ与えれば、人はおとなしく従順になってルールに従うだろうという考えは下世話である。~

みんなが他人のことを思いやることができ、自分の行動を制することができれば、いじめなどなくなるのだろうな。