読書『静思のすすめ』Ⅶ

「覚悟」とは自分の思っている意味と違うのかな。

~あなたが本当に「目覚め」そして「悟り」、「覚悟」の境地にいたったなら二度と気持ちがぶれることはありません。「悟る」それは現実の自分を知ることです。自分が分かりさえすれば自然に覚悟はできるのです。~

覚悟というと、「不利なこと、困難なことを受け止める心構えをする」ととらえがちだが、仏語として「迷いを脱し、真理を悟ること」、また「あきらめること」というのもある。「あきらめる」の語源は「明らかに見る」ことなので、「覚悟」や「悟る」のは現実の自分を知る、というのも納得がいく。

しかし、現実の自分を知るというのが一番難しい。ただ、迷ったり悩んだりしているのは、現実を知らないことに起因していると思う。

~あなたの持っている能力や才能は自分の思っているうちの半分もない。25%くらいだと思えばちょうどいいのです。自分を100%に規定するのをやめてごらんなさい。自分は25%の存在だと思うのです。批判や悪口からも意見や気づきをもらえて成長できる。あなたが今まで覚悟して生きられなかったのは、自分を100と規定してそこから様々な迷いが生まれ続けてきたからですよ。~

そうだろうな。でも自分の力を過信してしまう。教員というものは、発展途上の人間を前にして指導する立場なのだ。つい自分の力が尊大であるかのような錯覚をしてしまう。せめて、指導させていただく、働かせていただく、そういう思いに立ち返らなければならない。