読書『西田幾多郎』Ⅱ

難しい本である。だけど、「あっ」と思うところもある。

~必要なのはむしろ、「私が、私が」という自我を消し去ることなのでしょう。「無の自覚」なのです。~

私などは、ついつい自分を押し出そうとしてしまう。自分の思い通りにしようとしてしまう。

~人はただ、この現実世界に生まれ、働き、死ぬだけです。だからこそ、今ここでこの世における一期一会に命を燃やし、我執や私欲を捨て去ろうとする。すでに我々は歴史的事実に参与しているのです。それは我執も私欲も超えたところで動いている。そのことを知らねばならない。~

ただ生まれ、働き、死ぬだけ。だから自分でなくてもいい。自分がどうあろうと、歴史は変わらない。

~だから、無私、無我、無心になって「物となって行う」そのことそのものが世界への働きかけになり、それがまた次の作用となって歴史を生み出すのです。我々にできるのは、それだけのことでしょう。しかしそれは大変な決断を要する容易ならざることでもあるのです。「ただ此処に生まれ、働き、此処に死ぬ」というのは覚悟のいることなのです。~

「物となって行う」それはよくわかる。自分の色なんて出さなくてもいいんだ。自分は物でいいんだ。

余裕があったらもう一度、読んでみたい。