読書『流されて生きなさい』Ⅵ

今回を最後にしよう。目に留まった言葉を書き連ねていく。

~私たちの命は仏様からお預かりしているものです。いつやってくるか分からない人生の終わりを迎えるその日まで、生き続けなくてはいけないのです。~

自分の命は自分のものではなく仏様からの預かりもの。

~「無常」この世は常に移り変わる。常なるものなどどこにもない。常に移り変わっているからこそ、私たちはその変化を楽しみ、あるいは克服しながら生きるのです。~

我々はいま苦しかったらそれが永遠に続くものだと思い込んでしまう。「この世は常に移り変わる」ことがわかっていれば、そう苦しむこともないわけだ。

~「安穏無事」安らかで何事もない平穏な状態。何事もない変わらぬ日々にこそ幸せは宿っている。~

~幸せというのは「なる」ものではありません。幸せとは「感じる」ものであることに気づいてください。幸せに生きている人というのは、幸せを感じる力のある人です。~

よく「幸せになりたい」と聞く。それは間違いなのだ。ところで、私も時々幸せを感じることがあるが、あまりそれを口に出したくない。口に出したら、それが壊れてしまいそうだからだ。

~耐えきれないほどの苦しみが襲ってきたとき、いっそ苦しみぬくことです。どんな苦しみも永遠に続くことはありません。いつか必ず人生の流れは変わるはずです。その流れが変わるまでともかく今を一生懸命に生きることです。~

そういえば以前、「悩みは不幸、苦労は幸せ」という言葉があった。苦しんでいる時こそ、幸せなのかもしれない。ちなみに仏教では、「生老病死」の4つはすべて苦しみだとしている。我々は、仏様から命を預かっている。それは苦しみを預かっているというわけだ。

~苦しみが深ければ深いほど、流れが変わったときの喜びや嬉しさは人一倍大きいものです。それは苦しみを味わった人でなければ感じることができないと尊いものです。苦しみがあるということは、あなたが生きているということです。そのことに感謝しつつ、前を向いて歩き続けてください。歩みを止めるその時まで生きなければならないのです。~

そんなに期待してはいけない。生きること自体、苦しいのだ。だがその苦しみの流れは時に方向を変える。その時に喜びや嬉しさが訪れる。苦しみも、喜びも、嬉しさも味わえる、それが人生なのだ。自分の人生を送ることができる、そのことに感謝せよ。それを最後まで味わえ。