読書10‐2『平成不況の本質』Ⅸ

商店街大規模店で息絶える子どもを育てる力も消える

夏季休業期間が本格的に始まった。今日から弁当を作り出勤だ。あまりにも強い日差しのため、折り畳み傘をさしてジョギングを試みるが、そんなに苦ではなかった。日焼け止めクリームを塗るのもそんなに気が進まないので、日傘作戦を続けてみようと思う。

~最も罪深いものの一つは、構造改革時に規制緩和の一環としてなされた2000年6月の「旧大店法」の廃止である。旧大店法は主として中小の小売業保護を目的として、大規模店の店舗面積を中核とした法的規制である。~

我が町も、商店街が衰退して久しい。旧大店法が廃止されたから、商店街が衰退したのではなくて、旧大店法にかかわらず商店街は衰退の一途をたどっていたのだと思う。少子化、後継者不足、マイカーブーム等、様々な要因があろう。

~現在、どの地方中小都市を訪れても、誰もがその惨憺たる姿に、驚かざるを得ない。旧市街地の中心であった駅前から,いわゆるシャッター街が広がり、昼日中さえ人通りは疎らである。それは故郷の喪失に等しい。~

商店街を盛り上げる様々な試みは幾度となされてきたのだと思う。そういえば、私が愛読する楠木新氏の著書にも、幼い頃の商店街の人たちの生き様が憧憬になっているという記述があった。まさに、地域が、人を育てていた。そんな舞台が消えた今、何がその代わりとなっているのだろうか、思い浮かばない。

~大規模店の存在は、旧市街に留まらぬ家族、子どもたちの教育という社会的な関係に決定的な亀裂を生んだ。街そのものの力で子どもが育ち、また街が子どもたちの多様な個性、来歴を越えて、彼ら同士が互いに育ち合う多彩な場を与えてくれたというかけがえのない事実を旧大店法の廃止は全く理解していない。~

地域の教育力がなくなったとは、こういうことを言うのだ。きっとその分は、学校教育に負担がかかっているのだ。(R6.7/22記)