読書8‐12『生き方の不平等』Ⅸ

来週、宿泊的行事があり、その打ち合わせで、職場を後にしたのは5時過ぎ。買い物にスーパーに寄ってついでにフードコートで読書。思いがけず同僚から声をかけられた。これもサプライズ。

「お互いさま」の意識をどう育てていくのかを考えながら読んでみた。

~負担の概念を広く参加ととらえ、社会に貢献することを社会の構成員全員に求めることで年齢構成に関わりない活力のある持続可能な社会を形成することができるのではないか。~

負担というと徴税が思い浮かぶが、参加という負担にすればいいのだ。税負担の代わりに地域の奉仕活動などに参加する。「金をとられるくらいなら体を動かしたほうがいい」という者は多いだろう。そこでは男女や年齢の差別のない社会貢献を行う。実際に顔を突き合わせて活動をすることで、連帯意識も生まれてくる。

~教育を受けることの最終的な教育目標の一つは、社会的想像力を研ぎ澄ますこと。~

学校がある。そこで教育が行われている。それは何のためかと問われると、即答できない時もある。要するに当たり前になりすぎて、目標を見失っているのだ。人間関係作り、連帯意識を育ててはいるのだが、どうも頭打ちである。学年が進むにつれて、受験競争などで、軽んじられている気がする。競争とか選抜の社会では、確かに「お互いさま」の意識は育ちにくいだろうな。(R5.9/22記)