読書7-17『森田療法』Ⅶ

今日はわりと朝からゆっくりしている。

~我々日常者の前にはいくつものとらわれなければならない要素が潜在している。人間は死ぬまで何かにとらわれつつ、さらに「とらわれ」から脱してより広い世界に開眼していくという努力を繰り返さなければならないだろう。~

悩みもとらわれなのだろう。誰でも悩みの一つや二つある、という。「こうでありたい」というとらわれから悩みが生じるのだ。この社会全体がとらわれへの呼び水になっている。

~自分自身の人間としての価値を問い、人間としての意味に向かって自分を投げかけていける自己、つまり、自己実現を果たしていける自己を把持する原点に立つのである。~

 把持は「しっかりと持つこと。かたく握り持つこと」

~症状のとらわれから自由になった彼は、自らを家族や社会や様々な人間関係の中で生かし、人間としての意味を求めることに努力をするようになるだろう。これは人間としての自由を獲得し、広げていったことになる。~

自分は人間としての意味を求めているか。否である。理由は分かっている。とらわれているからだ。もう、そのとらわれから脱しなければならない。そうしなければ、自由は獲得できない。自己実現などできない。(R5.3/29記)