読書7-17『森田療法』Ⅵ

昨日から舞鶴天橋立、伊根の京都一泊旅行。

「あるがまま」という言葉に、「目的本位」という語が重なってくる。

~あるがままは人間目的に沿ったあるがままであり、目的本位のあるがままでなければならない。~

調べてみたら、「目的本位」に対する語が「気分本位」だそうだ。

~これまでに感じ、悩み、葛藤してきた不安、苦痛、症状を「あるがまま」にしながら、自分自身の人間としての目標に向かって「あるがまま」を実現していかなければならないのであり、その方向を「目的本位」といい、目的本位はまた、行動として実現されなければならないのである。~

不安、苦痛、症状を抑え込もう、消し去ろうとしてはいけない。それはそのままにしておき、気分に左右されることなく、やりたいこと、やらなければならないことを実行すること。

~症状をあるがままに、目的本位の行動をとることは、それまでの自己存在とは異なった存在の仕方をすることになる。そこでそうした行動が一つ一つ積み重なっていくと、性格の二次的要因が変化し、不安を持ちこたえ、症状に振り回されず、苦悩に囚われない自己の二次的性格が形成されていくのである。これが自己陶冶である。~

症状をあるがままに目的本位の行動をとる、というのは、「まずは形から入れ」という意味に似ている気がする。気分がどうあれ理想的な行動を取れば、人格も後からついてくるということだ。陶冶とは「人の性質や能力を円満に育て上げること。育成」とあった。不安でも、苦痛でも、まずは行動なのだ。(R5.3/28記)