読書8-18『気にするな』Ⅴ

大きな声では言えない用事で隣市へ。移動時間は渋滞などで1時間以上もかかり、まるで小旅行だ。ついでにお気に入りの食堂、そして銭湯にも入ってきて、それなりに花金を満喫した。かわりに、ブログも視写もサボることになった。

~高等動物や人間は生まれたときから個体差があります。すべて能力はバラバラにあるわけでそれを人間が後知恵で平等にしろというのは無理があります。~

全くその通りであるが、この考えこそ、日本人に欠けているものだと思わざるを得ない。特に教育に携わる者に大きく欠けていると思う。教師は担任としてクラスを持つと、その構成員すべてを均一化しようとする。そのために構成員の従属心や団結心を高めようと働きかける。そしてその個性ゆえに、集団からはみ出す子どもを指導する。個性を尊重する学級は、まとまりのないクラスとして管理職から低い評価を受ける。

~もしもこの時代、中東に生まれていたらどうか。それを思えば、日本に生まれただけでもラッキーだと考えることはできないでしょうか。今の時代、今の日本に生まれたという2つの極が重なっただけでまず世界中の人から見たらかなりラッキーなのです。~

思えば、日本人にとって世界とは、アメリカであり、ヨーロッパなのだ。中東の問題など最近になってようやくニュースに取り上げるようになったわけで、中東も、アフリカも、南米も「その他」あつかいされている。自分がどこに生まれるなど選べない。やはり日本に生まれたのは恵まれていたとしかいいようがない。

~下を見たらきりがないと言うのならば、同じように上を見てもきりはありません。結局のところ自分がどの程度で納得できるのかの程度を知ることが自分の生きる道を知ることです。~

私も数年前まで上ばかり見ていたな。だが、挫折し、自分を見つめ直し、納得したというか、あきらめたというか、身の程を知ったというか。そうして自分の道を生きているわけだ。(R5.12/2記)