読書6ー13『「おもてなし」という残酷社会』(榎本 博明) 

「おもてなし」という残酷社会 (平凡社新書)  – 2017/3/15 榎本 博明  (著)

今日は5時間で子どもを帰して、後は、詳細は避けるが会議のようなものが予定されていた。が、私はその時間に年休を取ることにした。私が職場にいるかいないかの基準は、子どもがいるかいないかだ。子どもが帰ってからの時間が、それが自分にとって価値ある時間でなければ、私は遠慮なく年休を取る。いつ何が起こるか分からない。そこで後悔しないためにも、時間の過ごし方については、最良の選択をしたいと思っている。

~「間柄の文化」の住人は、そのような自己主張は自分勝手に思えてなかなかできない。自分中心に物事を考えることができないのだ。「個」を生きるのではなく他者との「間柄」を生きているからである。~

もし私が「間柄の文化」の住人であれば、早く帰ることなどしなかっただろう。早く帰ってしまったら周囲がどう思うだろうか、周囲との関係、いわゆる間柄が壊れてしまうのではないだろうか、と気に病んでしまうだろうな。

~私たち日本人は、日ごろから、人がどう思うか、どう感じるかを気にして、人のことを気遣いながら暮らしているのである。~

相手の身になって考えろ、相手の気持ちを考えろ、とはよく言われる言葉である。

~自己主張を適度に抑え、相手を尊重しようという、個として凝り固まらず、他者に対して開かれた姿勢が、争いごとの少ない調和的な社会を生み出しているのである。そしてそうした姿勢こそがおもてなしの精神につながっているのである。~

相手や他人を気遣いすぎて、自分を抑え込んだり、自己主張できなかったりするのがいけないのだ。間柄の文化の中でどのように個を確保するかが大切なのだ。(R4.6/9記)