読書『日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか? 』Ⅵ

違法な労働環境は、教育も一因なのだ。

~なんにでもなれる「普通教育」が至高のものとされ、具体的な技能の軽視と対になって汎用性の利く基礎学力が重視された。そして国家の福祉が劣悪であるため、「大企業に行けば生活は安定する」という状況のもと、苛烈な「受験競争」が社会問題となった。~

高校の普通科。言われてみれば「普通科」なんて本当に変な言葉だ。しかも、「普通科」の方がレベルが高いなんて。将来どうにでもなれるようにオールラウンドに身につけておけということなのだ。「普通科」が幅を利かせているから、将来役に立たない学力まで身につけさせられるのだ。「普通科」に入り役に立たない知識までぎゅうぎゅうに詰め込まれ、「学歴」を得るために受験競争に駆り立てられ、就職しても、いつでもどこでも取り換え可能できるように、広範な職務を命じられる。なんとも悲しい国民だな。

~仕事の範囲が決まっていなければ、ひたすらどんな命令も受け入れるしかない。仕事の仕方を会社に委ねる代わりに、終身雇用と年功賃金を求めるという日本型雇用の「取引」は結果的に雇用保障がなくともひたすら何でも働くという野蛮な「労働力の商品化」を生み出した。~

そうだ。「取引」なのだ。いいように使われるかわり、簡単にやめさせられなくて、給料も年々上がっていくということ。しかし、我が国も経済成長がなくなり、その取引もできなくなっている。なのに、労働環境だけは変わらない。

~この状況を覆すためには、労働者側からの「生存の要求」をもう一度やり直すしかない。~

生存権の主張ということだろう。生存権とは、「健康で文化的な生活を営むことを内容とする権利」とある。「権利は主張しなければ実現しない」とは筆者の言葉。待っていれば降ってくるものではないのだ。(R4.2/15記)