読書『労働法入門』Ⅴ

身近にきちんと動いてくれる労働組合がない場合はどうするか。

~裁判所に行く前のもう一つのステージとして行政機関による相談、あっせん、救済などがある。一つは都道府県労働局で行われる個別労働紛争の解決のための相談などである。~

~もう一つの行政機関として労働委員会がある。問い合わせればどのような方法で相談に乗ってくれるか教えてくれる。~

職場ではこういうことは決して教えてくれないな。

~日本でも労働紛争自体は潜在的にたくさん存在しているが、白黒はっきりさせないで柔軟に問題を解決することを好む意識、つまり西洋的な「権利」の観念の希薄さが、いまの日本人にも残っていたり、裁判所よりも行政の方が立ち寄りやすいといった側面などがあいまって日本の裁判所利用率の低さにつながっている。~

我々は、何事も、表立てたくない、おおごとにしたくない、穏便に解決したいという気持ちが強い。何よりも「和」、協調を大切にする。それが「西洋的な『権利』の観念の希薄さ」につながっている。

学校では個々の権利よりも、まず「みんななかよく」と協調の大切さを教える。そのため自分を主張する子どもは「わがまま」だと捉えられてしまう。

「権利」の観念は、道徳でも教えられていない。12月に「人権週間」があり、6年社会では憲法の学習で「基本的人権の尊重」を学ぶ。だが、「人権」というものを躊躇なく教えられる教師の方が少ないのではないか。「自分が自分を大切にする」という意識をどう持たせたらいいのだろう。

「権利」の希薄さはイジメの問題にもつながっている。明らかにイジメられていても、周囲の人間関係を壊したくないから言い出せない。聞き取りやアンケートを実施するが、子ども自身にその気がないのだから対策としては片手間だと思う。(R3.9.5記)

読書『労働法入門』Ⅳ

労働組合についてふれられる。

労働組合の役割はそう小さなものではない。組織率は低下傾向にあるが、その活動を軽視することはできない。~

私が所属していない方の組合は、組織率はとても高い。4月1日、初任者に組合担当が声をかけ、組合とは何たるやの説明もなく、用紙に記名させる。限りなく100パーに近い。私も、本来の活動を全くせず管理職に迎合しているその組合を敵視していたが、全国的に組合が衰退している現在、そんな組合でも存在意義があると感じている。

労働組合の第一の存在意義は使用者との関係で経済的に弱い立場にある労働者を守ることにある。~

労働者を守る。労働者の権利を守る。そのために組合がある。それを忘れてはならない。

労働組合の存在は使用者の利益にもなりうる。一人一人の労働者と個別に交渉するより全体でまとめて交渉した方が会社にとっても効率的である。~

~労働者は一人ではなかなか声を上げられない。労働組合などの集団を作り、不満や意見を言いやすい環境を整えることで労働者の発言が実質的に機能するようになり、労使双方の利益が高まる。~

私は御用組合だけでなく、管理職も敵視していたが、そういう感情だけでは問題は解決しないのではないか。管理職だって労働者を意図的に酷使しようとは思っていないのだ。大きな渦の中でそうなってしまっているのだ。その中で双方の妥協点を探るということも必要だと思っている。(R3.9.4記)

読書『労働法入門』Ⅲ

年休について述べられている。

~年休の趣旨は労働者の心身のリフレッシュを図ることにある。~

私は、ここ2年間は、年休を20日間消化している。リフレッシュするためというよりも、20日間消化しないと、損をするからだ。10日消化しても、20日消化しても、どちらも次年度に持ち越せるのは20日間なので、最大40日間なのだ。今年の目標は24日間。そうすれば今年を含め退職まであと5年、毎年24日間取得できる計算だ。

もし20日に満たなかったら、例えば15日しか消化しなければ、5日間休む権利を放棄したことになる。休む権利を放棄するなんて、私にはできない。権利を最大限利用するべきだ。

~日本の年休制度の最大の問題点は消化率が低いことである。その主たる原因は労働者に年休の時季指定権を与えている日本の制度にある。~

労働者が時季指定権を持っている。それは、労働者が年休の日時を決める権利があるということ。労働者が年休の日時を決め、それを使用者に認めてもらう。この図式だと、基本的に労働者の立場は弱いので、年休を申し出にくいのだ。

~年休の未消化問題を解消し、労働者の心身のリフレッシュを図っていくためには日本でも年休制度の原点に立ち返り、会社に年休カレンダーの作成義務を課すなど、年休の法制度自体を改める必要がある。~

本年度、今のところ、私は12日間年休を消化している。稼ぎ時の夏休みが過ぎているので、まだ少ない、という思いだ。(R3.9.3記)

 

閑話休題『当ブログについて』

本日、9月7日は私の56回目の誕生日であります。昨年同様、これを記念して当ブログについての紹介をさせていただきます。

本ブログは、「ほとんど読書、時々映画、たまにグランパス」を話題としております。

読書は、私が休職をした際、読書をして気になった文をノートに書き写すという習慣をつけました。赤ペンを持ちながら読む、文を書き写す、自分の言葉とともにブログに載せる、という3度読みをしておるのです。

映画は読書ばかりだとつまらないと思い、映画を観た感想を記しています。コロナの関係で映画を多く見るようになり、ブログに書く比率も上がっております。

グランパスはJリーグ誕生の頃からサポーターをしています。これも一つのサポートの形として観戦記をしたためております。

予約投稿という機能が使えるようになり、いつ以来でしょうか、ずっと毎日ブログ更新をしております。「大海の中の木片」の当ブログですが、今後ともよろしくお願いいたします。

読書『労働法入門』Ⅱ

我々労働者は、使用者と契約を結んでいるはずだ。

~労働契約は労働者が働く義務を負い、会社がその対価として賃金を払うことを義務付ける契約である。~

だがその内容をはっきりは知らない。

~使用者は労働契約の締結に際し、賃金、労働時間その他の労働条件を労働者に明示しなければならない。期間、就業場所、業務、労働時間、賃金、退職に関する事項について書面の交付が求められる。~

もしかしたらこの仕事に就くときに書面で手渡されているのかも知れない。だが、そんな契約など意識しなかったし、役にも立たなかった。実際の職場の先輩や同僚の仕事ぶりを見ながら学んできた。仕事も覚えていない輩が契約事項を主張するなどできないということだ。

労働法などを意識するようになったのは、それこそ酸いも甘いも嚙み分けるようになったころだ。

~労働の契約の内容を明らかにしておくことは、労働者の権利や利益を守るためにも将来の無用な紛争を防ぐためにも重要である。~

自分の契約内容を書面で確認しなければと思うようになったのはここ最近だ。だが、その手立てを知らない。使用者に聞いてみればいいのだけれども。

~労働者が泣き寝入りをせず、正当な権利の主張をしていくことが、このような悪弊を将来に向けてなくしていくための一つの、しかし着実な方法と言えよう。~

前回記したことだが、働かされているのか、勝手に働いているのか、それはまず労働者の意識にかかっている。自分は今、どんな仕事をしているのか。指導案作成であれば「働かされいている」。学級通信であれば「勝手に働いている」。労働者として、自分の働き方を峻別するのだ。そして「働かされている」のであれば、それは使用者に主張しよう。余分に働いた時間は回復措置をとってもらおう。労働者としての主体性も必要なのだ。(R3.8.28記)

読書『労働法入門』 (水町 勇一郎)

労働法入門 (岩波新書) – 2011/9/22 水町 勇一郎 (著)

本書は働き方改革が叫ばれたころに新版が発刊されている。私が読んだのはもう10年前の本だ。

労働法とは何か、ということが記されている。

~人間としての自由や尊厳を失っていくという事態が工業化、都市化に伴いみられるようになった。労働者の肉体的、経済的な危険と人間としての自由の欠如を是正する技法として発明されたのが「集団」法としての労働法であった。~

我々労働者の自由や尊厳は、労働法によって守られているのだ。

~自由を奪われていた労働者に対し、集団として自由を行使することを認め、労使の事実上の力関係の差を是正しようとするものであった。~

 ~自分たちそれぞれの安心や社会の秩序を守るために、みんなが守るべきルールを定めることにした。このルールが「法」である。「労働法」はさしあたり働くことについてのルールを定めたもの(その寄せ集め)と考えておけばよい。~

みんなが守るべきルールとある。だが守るべきなのに、守られていない。例えば教員の勤務時間である。9割以上守られていないと言っていい。学校現場では、勤務時間が過ぎたら、教員は、管理職に命じられ働かされているのか、教員が進んで働いているのかがよく分からないのだ。

管理職は教員に「担任業務」を命じている。だが「担任業務」というのはとても幅がある表現だ。ほぼ授業を進めるだけでも成立するし、きちんと教材研究や授業準備をしたら勤務時間は遥かに超える。

みんなが守るべきなら、勤務時間を過ぎたら学校を退出するべきだけど、そうなるとは思えない。(R3.8.27記)

読書『いい言葉は人生を変える!』Ⅶ

最後に、著者おススメの言葉の一部を載せたい。

~「仕事ができる、心が弾む!」という言葉が身体のリズムを整え、気力を高揚させるのに役立ちます。~

~「ありがとう、神に感謝します」ありがとうという発声は身体の中のホルモンバランスを整え、神経系を幸運体質に変える力があります。さらに「神に感謝します」と発声することは「ありがとう」を100回発声するのと同じ効力があります。~

~「勝ち組遺伝子、スイッチオン!」この言葉は仕事の成功運を開く究極の魔法の言葉です。~

~「私の金銭運、快調!」手放したお金がいずれ何倍にもなって自分のもとへ帰ってくるとイメージしながら唱えてください。~

~「おはよう!今日もいい日になるぞ」一日中幸せな気分で過ごすことができます。~

~「ウェルネス」より良い健康を求めるという意味があります。~

そういえば、この本を読んだころ(2年前)、「神に感謝します」や「ウェルネス」は、自分がジョギングしていた時によく、口ずさんだっけ。いつの間にかそれも止めてしまった。ブームだったのだ。

この本を読んだときには気づかなかったのだが、著者は80歳で亡くなっている。ちなみに著者の父親は100歳以上生きたそうだ。それを考えると、健康とは、命とは、寿命とは、分からないものだ。どんなに健康に気を付けても、寿命は約束されたものではないし、病気にかかるときはかかるのだ。著者の批判をするつもりはない。著者も無念だったろうな。口ぐせや言葉の効果は認める。でもそれに頼ったり、信じきったりするのもいけないと思う。(R3.8.26記)