読書9‐12『これでいいのだ!瀬尾ごはん』Ⅱ

手間や面倒を回避することは、自分の力を失うこと

今日もハードな仕事内容。帰宅するや否や、みたらし団子、バナナ、えびせんを立て続けに食べてしまう。そういえば「やめられない、とまらない」というキャッチコピーだったな。せっかくジョギングで帰っても、これでは台無しだ。

~料理が楽しくなったらきっと生きることが楽しくなります。だって自分が生きる原動力を自分の力でコントロールできるんだから。~

私は、給食がない日など、弁当を作る機会があるときは必ず作る。弁当を作るのは自分が休職していたころに養った習慣なのだ。わたしは弁当を作るという技術や能力を手放したくないのだ。

~自分でできることはした方が体は大変でもストレスは減ります。大変と言ってもそれは料理の筋トレだと思って。まずは切れているものを買わないことから始めましょう。もし買うときは、今ある自分の力を失っていくことだと覚悟した方がいい。~

「切れているものを買わない」で思い出したのだが、私はカボチャを一つ買うときに、半分に切ったものを二つ買ってしまう。そう、カボチャを切るのに結構手間がかかるからだ。しかし、それもカボチャを半分に切る力を失っていくことになっている。大変だ、めんどくさい、手間がかかるといってそれを回避することは自分の力を失っていくということなのだ。自分の力を衰えさせないために、弁当作りに限らず、料理に挑戦するべきなのだ。それはストレスを減らすのにも有効なのだ。(R6.4/17記)

読書9‐12『これでいいのだ!瀬尾ごはん』(瀬尾幸子)

食べることは「生きること」そのものであり原動力

これでいいのだ!瀬尾ごはん: 台所まわりの哲学 (ちくま新書)  – 2015/9/7 瀬尾 幸子 (著)

視写期間 2019年11月24日~26日  視写量 3p

ほぼ毎日、料理をするようになって5年以上になる。きっかけは休職である。仕事から距離を置き、家人に代わり料理を進んでするようになった。復帰してからも早く帰宅するのは私であるゆえに、料理の主役の座を譲らない。

~現代の人間は運動をしないまま食べ物をスーパーで手に入れます。何もかも守られ過ぎている中で生き物としての感覚を失ってしまっている気がします。今、うつが社会問題になったりと多くの人がくたびれているけど、こういうことと無関係ではない。みんな自分が「生き物」だっていうことを忘れすぎていますよね。~

外食も、スーパーの総菜も大好きだ。だが、料理をするのは金銭的ハードルがあるからだと思う。「生き物」である自覚があるから料理をしているわけではない。

~食べることは「生きること」そのものであり、原動力。食べて生きていくために、狩りの代わりに食べ物を作るのです。~

食べることは生きること。妙に納得してしまう。だが、「狩り」こそ、自分の仕事、労働だと思っている。それで賃金を得て、食料を調達するのだから。だけど、働き、賃金を得て、食料を買い求め、料理するまでが「狩り」なのだな。とりあえず、明日も働かねばならない。そのためにきちんと食べたい。(R6.4/16記)

 

読書9‐11『がんばると迷惑な人』Ⅻ

一丸となってがんばればよい時代ではない

新しい一週間が始まった。子どもへの指導において、うまくいかないことがある。当然である。そのあり様を自分の責任と感じてしまってはいけない。ただそれを前に、指導するだけである。まだまだ躊躇したり、遠慮したりする自分の弱さがある。決して感情的にならず、淡々と働きかける。それはできるはずだ。

~これからのチームワークに何が必要か。一つは異質な能力です。異質性を軸にしたチームワークで実績を上げるには、それぞれの分野で優れた能力を持つ人が自分の能力を生かしながらチームの目的に貢献することが大切です。~

同質性を求めるのではなく異質性を生かさなければならないとは思う。少し前と比べて、我が国も外国人が増え、いろんな言語が飛び交っている。まさに多様化の時代なのだ。

~もう一つは主役意識です。自分たちが主役になれることが大切なのです。メンバーは自分たちが主役になるとがぜんやる気を出します。メンバーから感謝され、「ヒーローになれる」というところがチームの持つ動機づけの力です。~

同質性ということは誰かが目立ってはいけないということ。学校でも異質なものを排除しようとしてしまいがちだ。全員が主役。だからといってそれがどんなチームなのか、イメージできないけど。

~企業や役所のような組織はまだまだ工業社会型の「同質性を軸にしたチームワーク」で動いています。しかし一丸となってがんばればよい時代ではないのです。チームの場合にも、いかにメンバーから質の高い努力を引き出し、目標へ結びつけるかという発想に切り替えなければなりません。「みんなとともに自分の夢を追いかけなさい」と励まし続けるべきなのです。~

学校はまだまだ団結すること、協調することを子どもに求めてしまっている。とはいえ、チームの目標もあれば、自分の夢もある。その兼ね合いはどうなるのだろう。(R6.4/15記)

 

映画『貴公子』

新しい勧善懲悪ヒーロー出現か

貴公子 2024年4月12日公開-118分-サスペンス/アクション監督 パク・フンジョン  制作国 韓国

今日は長女が孫を連れてくる日。午前中から煮物やカレーを作る。昼飯として助六を食べて、割引チケット最後の一枚をもって、昨日と同じ隣市の商業施設付設シネマに向かった。

韓国映画だから間違いなはない。高評価を裏切らないいい作品だった。主人公はまさに貴公子だ。山田涼介を背を高くしたようなイケメンが、派手なアクションとバイオレンスを繰り広げる。その様はまるで『イコライザー』のデンゼル・ワシントンである。

まったく飽きるところがないだけでなく、格差や人種差別を批判的に描いているのもいい。最後にネタバレのようなシーンがあるのだが、もう少していねいに描いてくれたらなおいいなと思った。

悪い奴をやっつけてくれて気持ちもスッキリだ。新しい勧善懲悪ヒーロー出現か。(R6.4/14記)

映画『プリシラ』

エルビスに興味がある人限定の作品

プリシラ 2024年4月12日公開-113分-ドラマ 監督 ソフィア・コッポラ 制作国 アメリ

歌ボラの後、おにぎりを食べて、割引チケットをもって隣市の商業施設付設シネマに向かう。到着後、座席を抑えてから、カフェで小休止。なんとそこで奥の座席に職場の同僚を見かけたのだが、声はかけないでおく。

なんとなく面白そうだったので本作を選択したが、凡作だった。スーパースターの裏の部分を暴露するような内容を期待していたが全くそうではなかった。というより、やはりエルビスプレスリーの妻の物語であって、プレスリーの物語ではない。この先どうなるのか、というワクワク感を持たせながら、結局心に訴えるものは何もなかった、という作品だ。

ところで、エルビスプリシラの求めを拒否するシーンが何度もあったのだが、あれはいったい何だったのだろう。エルビスが早死にした母親像を求めていたからなのか、外で別の相手を作っていたからなのか。

結局、プリシラにとってエルビスとの結婚は何だったのだろう。エルビスに興味がない人にとっては特に観る価値もない作品。(R6.4/14記)

 

歌ボラ『C施設』

自分の実力以上のものを引き出してくれる方々

歌ボラ『C施設』モーリスW‐120R

曲目:夕焼け小焼け/シャボン玉/(以上ハーモニカ)/バラが咲いた/上を向いて歩こう/一杯のコーヒーから/ちょうちょ/朧月夜/花/七つの子/幸せなら手を叩こう/お富さん/古城/赤胴鈴之助/夜明けのスキャット365歩のマーチ/ふるさと/アンコール:青い山脈

1時20分に家を出て、開始15分前に到着。結構ギリギリになってしまった。すでに利用者さんたちは陣を整えて私を待ち受けていたかのように見えた。てきぱきと準備をして、すぐに始める。

『バラ』『上を』は職員さんが歌詞コピーを配ってくれたからか、皆さん、本当によく歌う。歌が好きなのだなあ。その流れで『一杯』そして童謡も歌ってくれた。そして、私の語りも毎度同じなのだが、「山がないのに」「嫁さんは一人」などでよく笑ってくれる。だからこっちの舌も滑らかになる。

それ以降の曲も利用者さんは楽しんでくれた。歌声も手拍子も、ノリがよく受けがいいので、私も自分の実力が2割増しほどになった気分である。この施設の方々が私の実力以上の演奏を引き出してくれるのだ。こういう施設を私は大切にしなくてはならない。

次のC施設訪問は5月25日。次の歌ボラはO施設、4月27日。

読書9‐11『がんばると迷惑な人』Ⅺ

学校発の全員主義、平等主義が野心を駆逐する

助走の一週間、慣らしの一週間が終わった。来週から平常日課、てんこ盛りの日常が始まる。今日も昼過ぎに子どもは下校しているのに、全くの働きづめだった。結局、一部の仕事をやり残して、割り振りを取って帰る。

~たとえ仕事そのものは楽しくなくても夢や目標があれば知恵を振り絞って少しでも良い結果を出そうとします。夢や目標の魅力がワクワクさせ、やる気にさせるのです。夢や目標がモチベーションの源泉だったのでしょう。~

組合の幹部をしている。時に労働相談に乗ることがあるが、その中で「部活動指導の押し付け」問題がある。部活動はご存知のように長時間労働の要因となっており、顧問になるかどうかは教員にとって大きな問題だ。教員との面接で「体を張ってでもやれ」と脅したり「名前だけでも入れさせてほしい」と泣きついたりする管理職がいる。

~夢や目標が「青天井」であることが大事なポイントです。果てしない夢や目標は「野心」と言い換えられます。野心さえあれば、放っておいてもその実現のために質の高い努力をするのです。~

要するにパワハラであるのだが、なぜ、その管理職は、部活動指導の魅力を語らないのだろう。そんなに必要で、そんなに素晴らしいのなら、なぜ部活動指導の夢を語らないのだろうか。きっと自分も指導者として懸命に取り組んだ時代があっただろうに。夢を語り切ることができない、説得ができないということは、大したことのない活動だということだ。

~野心を抱かせるものが我が国では著しく不足しています。それはおそらく平等社会で格差が受け入れられ難く、個人が突出したり目だったりさせないようにしてきたからでしょう。逆にがんばることはだれにもできるので頑張りを称えるようになったという見方もできます。学校教育はその最たるものです。~

最後の一文は、痛いところを突いている。学校こそが全員主義であり平等主義なのだ。「個性を大切に」という言葉が一時期謳われたが、その意味を分かっている教師はいないと思う。私もわがままをしている子どもに「みんな〇〇だよ」と他に倣うことを強制するような言葉がけをしてしまいそうになる。みんなと足並みをそろえるように勧めてしまいそうになる。それがどっぷりと染みついているのだ。(R6.4/12記)