読書9‐6『日本人はいつから働きすぎになったのか』Ⅲ

勤労、勤勉という価値観は江戸時代から

昨日から一転、風は冷たいが快晴。自分に課しているジョギング通勤。行きも大事だが、帰りのジョギングにも意味がある。それは仕事のストレスを解消できるということだ。息を切らせながら走る。今日の出来事を反芻する余裕なく走る。家に着くころには、もう過去のことになっている。マイカーではそうはいかないのではないか。

~任誓は農業労働というものを喜び楽しんでやるものだ、言い換えれば、みずから進んで(主体的に)やるものだというように説いているのである。浄土真宗の教義におけるこうした発想の転換は「勤労のエートス」を定着させる際に決定的に重要な意味を持っていたのではないか。~

任誓は『農民鑑』を著した真宗門徒真宗とは浄土真宗。我が国の仏教で最も信者が多いのは浄土真宗だと本で読んだことがある。「農業労働をみずから進んでやる者は、来世で救われる」と言えば、信じてしまうのだろうな。

~ベラーによれば武士の倫理規範は忠と孝、服従と正道、節約と勤勉と言った言葉にまとめられる。武士階級の間には、伝統的に「勤勉のエートス」とでもいうべき倫理規範が受け継がれていた。~

ちなみにエートスとは、「歴史の流れの中でいつしか人間の血となり肉となった『社会の倫理的雰囲気』」と記されている。江戸時代、士農工商という身分が確立し、その頂点である武士、そして最も多かった農民が「勤労、勤勉」という価値を重んじていたのだ。現在の日本人の価値観にも影響しないわけがない。(R6.2/6記)