読書9‐11『がんばると迷惑な人』Ⅷ

生産性を高めよう、労働時間を守ろうなんて意識は皆無

朝から土砂降りの雨。だが合羽を着てジョギングをしながら通勤する。新しく受け持った子たちとの学習が始まった。間合いを図りながら、勉強の手助けをする。まだまだ手探り状態である。午前中3時間はあっという間に過ぎる。

~年間総実労働時間を国別に見ると、我が国は1747時間で、フランス、ドイツ、オランダに比べると3割ほど多く働いている計算になります。我が国では非正規従業員の比率が全体の三分の一以上を占め他国に比べて著しく高いという特徴があります。彼らを除いた正規従業員の年間総労働時間を見ると2018時間にもなります。~

私の場合は1日8時間、授業日が200日とすると、1600時間だ。それでも欧州を上回っている。私の職場では他の皆さんはもっともっと働いている。自分たちの労働時間が、世界の中でも突出しているということを知っているのか知らないのか。そういう問題意識は持っていないと見える。

~我が国では労働時間の短縮が以前からほとんど進んでいないのです。週49時間以上働く人の割合はフランス11.8%、ドイツ11.7%、アメリカ15.4%であるのに対し、日本は23.1%となっています。~

管理職が、長時間労働を制限するような言動はない。野放しである。職員は、勤務時間、労働時間というものを意識することなく、差し迫った課題解決のために時間を費やしている。

~我が国では相変わらず効率悪く長時間働いている。我が国の場合、ホワイトカラーの生産性の低さが指摘されています。ヨーロッパの方が日本より生産性が高いと言います。~

生産性が低いか高いかという意識もない。その仕事の軽重など考えない。ただやらねばならない仕事が横たわっているだけである。明日が迎えられるように、準備をするだけで一日の大半は終わってしまう。それが、我が職場の常識となっている。そして私だけが大きく非常識である。(R6.4/9記)

 

 

グランパス『0-0 福岡戦』

まだまだだな、攻撃は全く改善されていない

J1 第7節 4/7(日)15:00 豊田スタジアム

11時過ぎに家を出てマイカーでスタジアムに向かう。駐車場に車を停め、ショッピングモールに立ち寄る。いつも利用する食堂には行列ができていたのだ。食品売り場でカツ丼弁当、サラダ、野菜ジュース等を買ったら1000円を超えたが、食堂でなくてもこれでいいな。

30日のマリノス戦は不参加だったのでひと月ぶりの参戦である。3連勝しての凱旋なのだが、チーム状態が上向いたわけではないということが分かった。アンカーからダブルボランチに戻し、守備面での整備はできてきたと思う。が、攻撃はまったくと言っていいほど機能していない。セカンドボールが拾えるようにはなったが、パスが全然つながらない。特に三國、中山ラインは顕著だった。スタッツを見ると、シュートは4本、枠内はたったの1本である。陣形を見るとワントップだから、そもそも攻める気がないと言われても仕方あるまい。ランゲラック、ユンカー、山岸、野上というレギュラークラスがいないのだから、引き分けで御の字と思うしかない。

ゴール裏で健気に応援したけど、それでなんとかなるものでもないようだ。早く今季初勝利が見たいものだ。(R6.4/7記)

映画『アイアンクロー』

果たせぬ夢を父親から押し付けられた兄弟たちの物語

アイアンクロー  2024年4月5日公開-132分-ドラマ    監督 ショーン・ダーキン    制作国  アメリ

次女から買った映画チケットの使用期限が迫っている。午前中に鑑賞できる作品を物色していたら本作に巡り合った。ジョギング、朝食を済ませ、自転車で市内のシネマに向かった。熱血プロレスドラマかと思ったが全く違っていた。しかし、凡評価が物足りなく思えるほどに心に刺さる作品である。

私の幼少期はプロレス全盛期だ。毎週金曜日は新日本プロレスの中継を欠かさず見ていた。アントニオ猪木と外人悪役レスラーとの闘いを夢中で観ていた。ロープに囲まれたリング、レスラーのぶつかり合い、華やかに繰り広げられる技、対戦相手の挑発ゼリフなどの「あるある」を懐かしく思った。

だがそんな華やかさの裏で、作品全編に貫かれているのは哀しみや無情さだ。その根源はストーリーを追うことでじっくりと伝わる。「自分が果たせなかった夢を息子たちで叶えさせる」という父親のエゴイズムだ。彼はけして家族を愛していない。兄弟に序列をつけたり、対戦相手をコイントスで決めたり。息子たちも、父親に洗脳されているから逃げられない。プロレスは人々を熱中させる。プロレスに憑りつかれ、プロレスにすべてを捧げ、身を滅ぼした家族の物語でもある。我が国では、野球でこういう家族が多いような気がする。(R6.4/6記)

歌ボラ『Hi施設』

想定外で久しぶりの野外演奏

歌ボラ『Hi施設』モーリス W‐120R

曲目:夕焼け小焼け/シャボン玉/富士山/どじょっこふなっこ/ふるさと(以上ハーモニカ)/バラが咲いた/上を向いて歩こう/高原列車は行く/ちょうちょ/春が来た/荒城の月/高校三年生/瀬戸の花嫁ああ人生に涙あり青い山脈

市内のシネマで『アイアンクロー』鑑賞後、カフェモーニングで読書、帰宅して練習や準備。そして現地に向かう。Hi施設は小規模多機能ホームである。道すがら、あちこちで桜は満開である。

現地に到着すると、利用者は近くの神社に花見に行っていて、私にも来てほしいとのことだった。施設の送迎車に乗せられて神社に行き、そこで利用者さんを前に演奏することになった。急遽野外ライブとなったわけだ。野外で歌うのは初めてではないが、想定はしてなかったのでドキドキワクワクしながら進行した。予定していたプログラムも変更、結局は定番ばかりの曲順となった。また予想外の場所でもあり、つい水分補給も忘れ、喉に負担をかけてしまったのは反省点である。

施設から神社までの川沿いの桜は見事である。新たな花見スポットを知ることになった。帰りの送迎車は、わざわざ遠回りして川沿いを走ってくださり、桜を十分堪能することができた。野外での演奏も合わせ、稀有な体験ができた。(R6.4/6記)

読書9‐11『がんばると迷惑な人』Ⅶ

情意考課は意欲や能力を吸い取る評価システムなのか

昨日よりも今日。子どもたちとうまくやれたような気がした。だからと言って今日より明日がよくなるかといえばそうではない。明日を過度に期待してはいけないし、不安になることもない。日によってかわる。上下しながら成長していく。人間相手なのだから。

~採用後の社員には頑張りを引き出すための装置が用意されています。それが人事考課制度、なかでも「情意考課」と呼ばれる部分です。~

人事考課は「企業で定めた基準に基づき社員の実績や業務態度、能力を評価する制度」とあった。情意考課は「勤務態度や仕事に対する意欲を評価する仕組み。職務を遂行する際の行動や態度などを評価すること」とあった。

学校教育でも子どもへの評価は行う。確か「関心・意欲・態度」も評価項目の一つである。それは情意考課だと言える。

~このようなシステムによって引き出される意欲、能力は受け身であり、自発的なものではない。いくら潜在能力を高めても全部会社に吸い取られ、自分のトクにはならないことを学んでしまいます。当然、社員の能力向上に対する意欲は失せてしまう。~

小学校に入り授業が始まると、子どもはすぐに評価されることになる。義務教育ではずっと評価をされる。評価活動によって意欲も引き出され、その善し悪しが判定される。評価をされると、その活動に興味を失うということを聞いたことがある。義務教育を卒業するころには、子どもは評価をされることに辟易してしまわないだろうか。(R6.4/5記)

読書9‐11『がんばると迷惑な人』Ⅵ

義務教育の頃から見せかけの意欲しか持てない

今年度受け持つ子どもとの出会いの日。ここには詳細は書かない。どうあれやれることをやるだけなのだ。勤務時間に全力を尽くし、時間が来たら帰る、それだけなのだ。仕事のストレスや悩みは、帰りのジョギングが洗い流してくれる。

~「エンゲージメント」とは自発的なモチベーション、あるいは仕事に対する積極的な姿勢。日本の指数は他の国に比べて高いどころか極端に低くなっています。~

調べたら、調査対象139カ国中132位なんて数字が出てきた。原因はたくさんあるようだ。「ワークライフバランスの問題への対処の姿勢の不足」「自ら仕事内容や勤務地を選ぶことが困難」「昇進と給与がほとんど年功序列」「失敗を厳重に警戒する傾向」「従業員を都合の良い存在と捉える」「人事異動を繰り返し万能選手を作り出している」などなど。

~次々と発表される国際比較調査の結果を見ると、いずれも日本人労働者の自発的なモチベーションは世界で最も低い部類に入っています。~

仕事に対して受け身の姿勢になっているのだ。教育機関で働いている私も、子どもを相手にして「受け身」だということは強く感じる。

~我が国の組織には頑張りを強要する装置が巧みに仕組まれています。確かに見せかけのモチベーションは上がります。しかしやらされ感にとって代わられるわけです。~

勉強も、子どもの興味と関係なく、学習する内容が細かく決まっている。おそらく全く興味が持てない内容に、それでも意欲的に取り組めるよう教員は工夫を凝らしている。それにより多少は意欲化するが、それは見せかけなのだ。学校に通う頃から、見せかけの意欲しか持てない人間が、大人になってエンゲージメントなど持てるか。(R6.4/4記)

読書9‐11『がんばると迷惑な人』Ⅴ

学校教育の「努力主義」は見直すべき

入学式前日。ぎゅうぎゅうづめの忙しさだが、12時の休憩時間開始には手作り弁当を開いて食べる。その後は休憩時間終了まで読書。入学式もコロナ前のやり方に戻すことになりリハーサルをする。人類はあの感染症を乗り越えたのだ。

~「貧すれば鈍する」で業績悪化が続くと、企業も人も冷静な判断ができなくなり、ただ闇雲にがんばるといった状態に陥ってしまった。~

ただがむしゃらに、というのがダメなんだろうな。あせったり、感情的になったりして冷静さに欠けるのはよくない。それは分かっているのだけれど。

~とにかくがんばれば報われるという素朴な処世術にしがみつき、いつまでたってもそこから脱却できないからでしょう。~

~「がんばれば報われる」というイデオロギーは、教育の世界に広く浸透しています。~

そうだろうなと思う。こちらもやすやすと「がんばれ」と声かけをしてしまう。こちらの都合でがんばらせている。熱心な教師と思われたいという下心もあるかもしれない。小学校のうちはそれでも何とかなってしまう。それでほとんどの生徒が普通科を目指し、受験競争に駆り立てられる。その子にとっては将来何の役に立たない教科を学習させられる。全員にがんばらせようとする学校教育の「努力主義」は見直さなくてはならないと思う。(R6.4/3記)