読書7-16『明日のリーダーのために』Ⅶ

「空想」とともに頻出するワードが「無私の心」である。

無私の心とは、私心なく行うということ。調べてみたら、「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉も出てきた。

~平和と繁栄は所与のものと思い込み、価値の軸を「損得」と「自己愛」にひっくり返してしまった最近の風潮では「無私の心」は「愚かな奴」としか評価されないこともしばしばです。~

今日も組合活動。若い先生が上司のパワハラで苦しんでいる。そのため学校に伺い、上司に話を聞く。こんな活動が、先週3日、今週2日続いている。訪問前のカフェでは物凄い疲れと眠気に襲われていた。いやではないのだが、「愚かな奴」というのはあながち間違ってはいないかもしれない。

「無私の心」は京セラ創始者稲盛和夫氏も唱えていたそうだ。78歳でJAL再建を依頼される。それを知ると、20歳も若い私が、こんなちっぽけな活動に関わらず愚痴をこぼしているなんて情けなくなってきた。

~リーダーを生む底流は職務に忠実で、無私の心で奉公し、死に臨んでも心が乱れることはないという多くの日本人に共有されている美質にある。~

奉公という言葉も嫌いだが、「無私の心」は自己犠牲であってはならない、という文章もあった。まだまだ「無私の心」の境地は遠い。(R5.3/14記)