読書7-12『不幸論』Ⅷ

本書の中で最も心に残る文章がこれだ。こんな視点を持つことができるのだ。

~私はありとあらゆる犯罪者に対して、自分とは無関係だとタカをくくってはいられない。私がしたかも知れない、あるいは今後するかも知れない犯罪を、彼らは私に変わってしてくれたように思う。~

彼がした犯罪を私はしないかも知れない。だが、こう考えたらどうだろう。だれもが自分の人生を選べない。とすると、もしかしたら、かの犯罪者の人生を私が歩んだかも知れないのだ。そしてこれからの人生だって何が起こるか分からない。いつ自分が犯罪者になるかもわからない。いつ不幸になるかもわからない。自分は犯罪をしないなどと言い切れる者は傲慢だ。

~すべての人には傲慢にならないように一つの「棘」が与えられている気がする。それは当人が最も醜悪と感ずる部分である。自分から切り離したい、それさえなければ幸福が実現するのにと思うまさにその部分である。~

~それは様々であろう。しかしそれがその人の「かたち」をつくり、その人の不幸を磨き上げる。だからその固有の不幸を大切にしなければならない。~

不幸を磨き上げるって分からないけど、人生が不幸そのものだと考えると、自分らしい人生を磨き上げる、ということか。

~人生の目標は幸福になることではなく、自分自身を選ぶことである。幸福になろうとすること、それは自分自身を選ぶことを断念することである。自分自身を選ぶこと、それは自分自身の不幸のかたちを選ぶことである。~

幸福を追求するということは、他人の不幸を追求することにもなる。幸福など追求するな。自分自身を選べ、自分の人生を生き抜けということだろう。(R5.1/29記)