読書7-3『「こころ」の本質とは何か』Ⅲ

特別に支援を必要とする子がどうして不安なのか。

~理解しきれず対処しきれない世界をなけなしの力で生活してゆくとき、自分がすでになじんで安心できるパターンやシチュエーションに固執し、未知のパターンや慣れないシチュエーションを極力避けるのはごく自然な知恵です。~

クラスで学級委員を決める。立候補者がなかなかでないときがある。担任として悩ましいことなのだが、それはやはり子どもたちが「未知のパターン」「慣れないシチュエーション」を避けようとしているのだ。

~遅れを持つ子どもたちは、まだこのように観念の世界を自在に行き来することができません。直接目の前にする実体の世界しかじゅうぶんに体験できないのです。この子たちは観念の中を移動する代わりに実際に身体を移動させねばなりません。~

観念の世界というと難しいのだが、きっと「ここがこうならきっとあそこもこうだろう」という予測とか想像の力だということだろう。

~遅れを持つ人たちは、そうでない人々にくらべたとき、ずっと我が身一つで世界に向かわんとしている人たちに見えます。その意味でとても自立しています。知的なハンディゆえに「依存的な存在」「非自立的な存在」と決めつけては精神遅滞への理解をあやまつでしょう。~

未発達であっても、めげずに世界に立ち向かっている。支援を要する子どもを見ていると、どことなくプライドを感じる時もある。そうであるから、簡単に手助けしてもいけない。また、彼らを「劣っている」「弱い」など、絶対に決めつけてはいけない。(R4.10/20記)