読書7-1『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』Ⅶ

生きる意味なんて、考えなくていいという筆者の意見。

~生きる意味を考えることは人間の尊厳だなどという人もいるけれど、そんなのは人間の勝手な言い草で、意味を求めてしまうのは人間の業みたいなもの、病気みたいなものだ、ぐらいに考えてちょうどいいのかもしれません。~

私も生きる意味なんてないと思うな。意味を求めたいなら求めればいい。生きたいなら生きればいいし、命を手放したいのなら、そうすればいい。確固たる意味があったとしても、それを押し付けられたらたまらないだろうな。

~成績がすべてじゃないと分かっていながら、それほどまでに拘らずにはいられない母親の抵抗力のなさも怖いし、それほどの力で一つの基準を押し付けてくる日本の社会の怖さも感じます。~

~そもそも「成績」などになんの意味があるだろう。どうせ人間は死んでいくのだし、結局のところどう生きようと人の一生に大差はない。犬や猫の一生に意味がないなら、人間の一生にも意味はない。~

教師として長い間、教え子に成績をつけてきた。「こんなことをやれる資格があるのだろうか」と思いながら、それができるのは私しかいなかった。毎学期ごとに成績を示してきたが、「そんなに大ごとにとらえなくてもいい」と思ってきた。通知表だって本当は発行を法的に決められているわけではない。だが、年中行事として存在しているのだ。技能教科は成績など出しても意味がないし、主要教科も、単元ごとにテストをして採点し、その結果を示しているのだから、それで子どもの学力はわかる。

~時には「人生にはなんの意味もないのかもしれない」というような身もふたもないような地点に立ち戻って、周囲が押し付けてくる価値観を揺さぶる必要があるのではないか。少なくとも自分のとはまったく反対の価値観もあるのだと考えることの大切さを感じます。~

人生にどんな意味があるのだろうか、と悩む必要はない。自分の人生の意味は、自分では決められないのかもしれない。(R4.10/5記)