読書『子ども格差』Ⅹ

今回を最後にしようと思う。

~「百マス計算」や「脳トレ」をどれだけこなしても、発展的な力や活用力には飛躍しません。逆に能力の高い子どもほど、条件反射力などの低次の力しかつかなくなることが懸念されています。したがって高いインセンティブとしての「学びがい」や「生きがい」「働きがい」といった高次の欲求へと昇華させていかない限り、意欲が無限に発展していくことはありません。~

私はかつて「百マス計算」が売りの民間教育団体に所属していた。その時は、毎日のように授業の最初に百マス計算をしていた。毎日やれば、必ずタイムが伸びる。子どもは自己肯定感を持つし、気持ちよく本題の授業に入ることができる。もちろん基礎計算の底上げにもなる。それなりの意味があったのだ。でも、今の自分だったら、やらない。目標タイムとか、最高タイムとか、数字に振り回されることに嫌悪感を持つようになったのだ。「インセンティブ」は「動機付け、報酬」だそうだ。高次の欲求へと発展させるなんて、難しいな。

~「子どもは未来からの贈り物」という子ども観に立ち、教育は国を守り、発展させる生命線ととらえることです。子育てと教育は、社会みんなの共同作業というメッセージを送り続けるのです。~

自分もそうなのだが、「国を守らなければ」とか「国を発展させよう」という気がない。自分の生活を守ろうとか、今の暮らしを維持しようという気持ちしかない。国レベルと生活レベルが結びつかない。愛国心というものに実感がないというのが、一般的な日本国民ではないだろうか。おそらく太平洋戦争で、愛国心を掻き立てられ大国に挑み、無残に散ってしまったということが遠因となっている気がする。そんなふうだから、子ども観も教育観も弱いのだ。社会全体で子どもを育てる、確かに素晴らしいのだが、そんな崇高な意識は持てないのが現実ではないか。(R4.4/28記)