読書『夜と霧』Ⅲ

生きる意味について書かれている。

~およそ生きることそのものに意味があるとするならば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩とそして死があってこそ、人間という存在は初めて完全なものになるのだ。~

生きる意味って何だろう。簡単には答えられない。だが生きることについて肯定しているのなら、苦しむことも受け入れなければならない。「苦しむこともまた生きること」なのだ。だから苦しみや死から逃れようとはしてはいけないのだ。

今日は朝からひどい肩こりだ。考えられる原因は、職場のストレス。本当に手のかかることがあったのだ。その苦しみを受け止めねばなるまい。生きるとはそういうことだ。

~「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」したがって被収容者には、彼らが生きる「なぜ」を、生きる目的を、ことあるごとに意識させ、現在のありようの悲惨な「どのように」に、つまり収容所生活のおぞましさに精神的に耐え、抵抗できるようにしてやらねばならない。~

自分はなぜ生きているんだろう。死にたくないからか。なぜ死にたくないのだろう。自分の命があるだけ使いたいからか。もっと生を楽しみたいからか。家族との団らん、旅行、映画、読書、グランパスなどなど、楽しみたいのだ。そう、もっと楽しみたい。そう思うと、職場のストレスなど、平気に思えてくる。働く辛さに対する抵抗心も湧いてくるようだ。(R3.11/12記)