読書『ていねいな暮らしと美しい人生』Ⅲ

怒りをあらわにしているのは美しくないのだろうな。

~頭で考えてばかりいるから頭にくるのです。まずは「ありがとさん」と三回心の中で唱えることです。その間に気持ちが落ち着いてくる。頭に血が上ることもありません。心の中で「南無釈迦牟尼仏」と三回唱えることにしています。するとふっと気持ちが軽くなります。~

「提出日前日に、それも出せと? 今から作れということか?」これが最近腹立たしく思ったことだ。「ありがとさん」とはなかなか思えないな。

「南無釈迦牟尼仏」を調べてみたら、「南無釈迦牟尼仏には、‘釈迦牟尼仏(お釈迦様)に帰依する’という意味。南無は、‘全てを任せます’という気持ち」とあった。お釈迦様にすべてを任せるということだ。怒りの持って生き場をお釈迦様に任せると。

上記の件で、怒りをあらわにするつもりはない。私は提出しないことに決めた。この件の行く末はお釈迦様に任せようと思う。

~うまくいかないときの方が圧倒的に多い。それが人生です。努力は必ずしも実りません。結果が出ないことなどしょっちゅうです。その時最も悪いのはふて腐れてしまうという行為です。~

ふて腐れてはならない。ではどうすればいいのか。

~結果が出なくてもその努力は無駄にはなりません。努力すること、その姿勢こそが大切なのです。努力するために私たちは生きている。~

~今自分がなすべきことは何なのか。やるべきことは何なのか。ただそのことだけに思いを馳せながら日々を生きていくことが大事です。今日一日を一生懸命に働くこと。できることをまずやってみること。

努力は必ずしも実りません、でも努力する姿勢が大切。実らないその怒りは、お釈迦様に任せろと。こうして努力することが尊重されているのは、いかにも日本、という感じがしないでもない。(R3.7.6記)